軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

落人

永禄三年(1560年) 六月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍

「では皆が西洞院の右少将の邸に集まっていると?」

「うむ。先日、麿が訪ねた時には権大納言広橋国光殿、権大納言烏丸光康殿、その息子、権右少弁烏丸光宣殿、権中納言勧修寺晴右殿、その息子、左少弁勧修寺晴豊、参議正親町三条実福殿、右衛門督高倉永相殿、右中弁甘露寺経元殿が居た。右少将に聞いたのだが連日客が多いそうじゃの」

兄が顎を扱きながら言った。娘が“凄い”と驚いている。

「……昵近衆が多いと思いますが? それに広橋権大納言様……」

問い掛けると兄が“うむ”と頷いた。

「幕府では三国同盟の軸の一本が折れた、三国同盟が揺れている今が関東制覇の千載一遇の機会、今こそ攻め込む時、そんな声が出ているようでおじゃるの」

「今川家は足利家の御親族ですが……」

「長尾の方が大事、そういう事でおじゃろう」

「右少将は無理だと否定しておりますよ」

兄が顎を扱くのを止め“フッ”と笑った。

「関東を制圧して新たに関東管領となった長尾が上洛すれば天下の形勢は一変する。皆迷っているのよ」

「特に昵近衆は、ですか?」

「そうじゃ。特に昵近衆は、そして広橋はの」

広橋は三好の重臣松永弾正と縁を結んでいる。本当に関東制圧は不可能なのか、気になるのだろう。そして判断材料を得るために右少将に会っている。

「それに畠山の事があります」

私の言葉に兄が“そうでおじゃるの”と頷いた。畠山尾張守高政が安見美作守宗房を呼び戻した。

「三好の挑発に耐えられなくなったとみえる」

「しかし三好にとっては思う壺でございましょう」

三好修理大夫の力を借りて追い払った安見美作守を呼び戻した。三好修理大夫は畠山尾張守の行動を背信として非難している。戦の名分は整った。

「公方は六角が動けるようになるまで待てと止めようとしたようじゃが……」

「六角は動けませぬ」

「そうじゃのう。……大分苛立っておる様じゃ。思うようにいかぬとな。それだけに関東への期待が募るのでおじゃろうな」

兄の顔には薄い笑みが有った。無力な公方を嗤っているのかもしれない。

「幕臣達が右少将に不満を募らせていると聞きますが?」

兄が頷いた。

「六角と畠山を使おうとしたが浅井の所為で頓挫した。畿内で三好を倒すのは難しい。苛立っている時に桶狭間で織田が勝った。畿内が駄目でも関東が有る、千載一遇の機会と公方も幕臣達も興奮しておるわ。だからの、否定している右少将が目障りなのよ」

兄が皮肉そうな笑みを浮かべている。

「三好は如何思っているのでしょう?」

兄が視線を逸らせた。

「さあ、如何思っているのか……。松永弾正が右少将の邸を密かに訪ねたという噂がある」

「真でございますか?」

問い掛けると兄が首を横に振った。

「噂が有るのは真じゃ。だが真実かどうかは分からぬ」

娘と顔を見合わせた。私も驚いたが娘も驚いている。

「今のところ三好に動きらしい動きは無い。関東制覇は無理と見ているのやもしれぬ。となれば……」

兄が意味有り気に私と娘を見た。訪ねたのは事実かもしれない。

「太閤殿下は如何御思いでしょう? 右少将は先日、殿下を訪ねている筈ですが……」

「太閤殿下は公方を諫めたと聞く」

「諫めた?」

兄が頷いた。

「今川治部大輔が死んだのは事実だが今川が無くなったわけではない。そして北条には武田が居る。関東制圧が簡単に成るとは思うなと」

右少将と同じ事を言っている。春齢が“兄様と同じ”と呟いた。

「公方も幕臣達も面白くなかったらしい。激しい言い合いになったと聞く。太閤殿下はそれ以来室町第を訪ねてはおらぬようじゃの」

「……」

「その所為で公方と御台所も険悪なそうじゃ」

「まあ」

「元々仲睦まじいとは聞かぬからの。不思議なのは春日局が二人の仲を取り持とうとしている事よ。皆が首を傾げておる」

兄も首を傾げている。

「関白殿下が越後に居られます。近衛家と決裂するのは避けねばならぬと思ったのでございましょう」

「まあ、そんなところでおじゃろうな」

兄が“ホウッ”と息を吐いた。

「治部大輔が敗れた。こうなると六角も……」

「どうなるかは分かりませぬ」

「そうじゃの」

兄が頷いた。そして“戦は怖いの”と吐いた。

永禄三年(1560年) 六月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 戸越幸貞

「野菜、要らんかあ! 採れたての野菜、要らんかあ!」

邸の前で男が声を張り上げている。町人姿、野菜の入った籠を背に担いでいる。俺の顔を見ると頭を下げた。

「如何も」

「何だ、その恰好は?」

眼の前の男が困ったような顔をした。

「確か倉石長助と言ったな。右少将様の依頼はお主ではなく頭が訪ねてくる事だが」

「その事で右少将様にお会いしたい。取り次いでくれるか?」

「とりあえず入れ、立ち話も出来ぬ」

敷地内に入れ武器の有無を確認した。長助は嫌がらずに身体をまさぐられている。武器は無い。

「勝手口に通すぞ」

長助が頷いた。町人を奥に通したとあっては他人に見られては些か拙い。それに邸の中の構造を知られるのも面白くない。その辺りは長助も分かっているだろう。

勝手口では小雪殿と志津殿が料理を作っていた、包丁が俎板を叩く音と良い匂いがする。

「小雪殿、志津殿」

「如何しました?」

「あら、その男は?」

「倉石長助、近江で捕らえた三好の忍びにござる」

小雪殿、志津殿の顔から笑みが消えた。邸に残った皆には長助の事は話してある。

「右少将様にお会いしたいと申しております」

「大丈夫なの?」

小雪殿が問い掛けてきた。

「武器は持っておりませぬ」

“それなら”と言って志津殿が右少将様の許に向かった。

長助が“あー”と声を出した。

「野菜を買ってもらえぬかな」

「はあ? あんた何言ってるの?」

小雪殿が呆れたような声を出した。

「いや、これからこちらに出入りする事になるかもしれぬ。ちょくちょく出入りするならこれが良いかなと」

「頭にそう言われたのか?」

問い掛けると長助が頷いた。三好の忍びの頭は右少将様との繋がりを一度だけのものとは考えていないらしい。

小雪殿が“しょうがないわねえ”と言うと長助が籠を下ろした。中には大根、蕪、胡瓜、筍等が入っている。小雪殿が近付いて籠の中を見始めた。

「あら、良い大根じゃない」

褒められて長助が“そうだろう、そうだろう”と嬉しそうにしている。

「幾ら?」

「四文」

小雪殿が“四文ですって!”と声を上げた。

「高い!」

「そんな事は無い。良く見てくれ。丸々太っているし葉も青々としている。美味しいぞ、俺が作ったんだ。味は保証する」

「あんたが作ったの?」

小雪殿が驚いていると長助が誇らしげに“うむ”と頷いた。こいつ、忍びよりも百姓になりたかったのかもしれない。そんな感じがした。

「うちの連中も皆美味しいと言っている。こいつで作った大根葉の味噌汁は最高だぞ。歯ざわり、味、何杯でも飲める」

「そりゃ美味しそうだけど四文は高いわよ。公家は貧乏なのよ、まけなさい、三文よ」

小雪殿が胸を張ると長助が“そんなあ”と情けなさそうな声を出した。

「飛鳥井家は裕福で有名ではないか。じゃあ……、二本で七文! 如何だ?」

小雪殿が“二本で七文”と言って唸りだした。長助が“お買い得だぞ”と言った。結構交渉が上手い。素直に感心した。

奥から足音が聞こえた。二人も奥に視線を向けた。志津殿が、石動左門、山川九兵衛殿が姿を現す。その後ろから右少将様が現れた。長助が頭を下げた。

「久しいな、長助。元気であったかな?」

「お陰様で……」

「麿に伝えたい事が有ると聞いたが?」

「はっ。頭が今宵、お訪ねしたいと申しております。御都合を伺ってまいれと」

「分かった。待っている、会える事を楽しみにしていると伝えて欲しい」

長助が畏まった。

「ところで頭に怒られなかったか?」

「捕まった事は怒られませんでしたが……」

「?」

長助が恨めしそうに右少将様を見ている。

「治部大輔様が討ち死にされた事を知ると何故尾張に付いていかなかったと。こちらへの報告はそれからでも良かったのだと怒られました」

右少将様が苦笑をなされた。

「それは済まなかったな。だが麿もあのような結果になるとは思わなかったのだ」

「……」

「では頼んだぞ」

右少将様がお戻りになり九兵衛殿がそれに従った。それを見届けてから小雪殿が“志津殿”と声を掛けた。

「この大根二本で七文、如何思います?」

志津殿が近付いてジッと大根を見た。長助が“美味しいぞ”と言う。志津殿が他の野菜も見た。真剣な表情で見ている。一つ頷いた。

「蕪を六本付けなさい、それなら十文で買うわ」

「十文! 冗談じゃない! 六本なら十二文だろう!」

悲鳴のような長助の声が響いた。

「六本で十文よ!」

勝手にやってくれ……。

永禄三年(1560年) 六月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱

眼の前に総髪の三十代後半の男が居る。忍者の頭領なのだが穏やかで知的な風貌をしている。何も知らなければ学者かなと思いそうな顔立ちだ。

「堀川主膳国重と申しまする。お招き忝けのうございまする」

「右少将飛鳥井基綱である。良く来てくれたな」

いや、本当だよ。門からちゃんと入って来た。格好も普通の直垂姿だしとても忍びには見えない。護衛として同席している山川九兵衛、間宮源太郎の顔にも意外そうな表情が有る。

「少し立ち入った事を訊くが良いかな?」

「答えられる範囲であれば」

笑みが有る。余裕だな。

「お主達は何時頃から三好家の仕事をしているのかな」

「某の祖父が三好家の先代当主、筑前守元長様に仕えたのが始まりにござる。ざっと四十年程になりましょう」

「雇われたのではなく召し抱えられたのか?」

「はい」

四十年か、長いような気もするが代々仕えてきたわけではない。どちらかと言えば新参の部類なのかもしれない。三好家は代々の当主が戦で負けて悲惨な最期を遂げている。家臣達も大勢死んだだろう。その損失を埋めるために雇われたのだろうな。

「その前は? 細川にでも仕えたのかな?」

主膳が“いいえ”と首を振った。

「我らは平家所縁の者にござる。山に隠れており申した」

はあ? 平家所縁の者? 隠れていたという事は落人か? 九兵衛、源太郎も驚いている。いや、なんか凄いわ。平家の落人と平家を滅ぼした義経の家臣達の末裔が同じ部屋にいるなんて。

「我らの祖先は源氏の者達に追われ人里離れた山奥に逃げたのでござる。壇ノ浦の戦いの後と伝わっております」

「そうか……」

ざっと四百年近く前の事だな。四国には平家の隠れ里伝説が幾つか有った筈だ。主膳の一族は壇ノ浦の戦いで負けた後に四国に辿り着き山奥に逃げた。そして山に住むうちに何時しか忍びの技を覚えた、いや覚えたというよりも自然と身に着けたのだろう。山に隠れたのは鞍馬忍者も同じだな。

「宜しゅうございますかな?」

いかん、ぼんやりしていた。

「ああ、済まぬな。思いがけない話でついぼんやりしてしまった」

主膳が軽やかに笑い声を上げた。うん、中々の人物だな。好きになりそうだわ。

「ところでお主達に命を下しているのは誰かな? 修理大夫殿か?」

「いいえ、三好孫四郎殿にござる」

やはりそうか、そんな感じがしたんだ。もっとも予想が当たっても全然嬉しくない。うんざりしていると主膳が“ふふふ”と笑った。

「右少将様を相当に危険視しておりますぞ」

「麿は公家じゃ。兵も無ければ足利と組んで三好と敵対しているわけでもない。孫四郎殿が何を恐れるのか、さっぱり分からぬ」

主膳が声を上げて笑った。九兵衛、源太郎が呆れたように俺を見ている。なんで? 本当の事だろう。

「先日、春日局殿が夜遅くに人目を憚る様に訪ねて参られましたな」

「……そうだな」

「以前にも同じ事が有りました。真に足利とは関係有りませぬので? 近衛様とは随分と親しくされておりますが……」

なるほど、三好孫四郎は本当は俺と足利に繋がりが有るんじゃないかと疑っているのか。或いはそういう事にして俺を殺したいと思っているのか……。ここははっきり言った方が良いな。

「無い。麿は足利は好かぬ。足利を利用する事は有っても足利に尽くす事は無い」

主膳が俺を見て“なるほど”と言った。

「春日局殿が此処に来たのは長尾の関東制覇は上手く行くのかを麿に聞きに来たのだ。前回も今回もな」

「真で? 右少将様と春日局様は仲宜しからずと聞いておりますが」

「不安なのでおじゃろうな」

主膳が“不安?”と言った。訝しげな表情をしている。

「室町第では関東制圧は間近、そんな声ばかりらしい。そなたは聞いているかな?」

「聞いておりまする。今川治部大輔様が亡くなられてからは一層その声が強まったと」

「あの御婆殿は幕臣達が浮かれているのが不安らしい。それでな、関東制圧は無理だという麿の意見を聞きに来たのよ。本当に無理なのか、その根拠は何なのか」

「……」

「今回は今川治部大輔が死んだ事が如何影響するのかを聞きに来た」

「それで、何と?」

なんか、何時の間にか尋問されてるな。思わず苦笑が漏れた。

「殆ど影響はない。長尾の関東制圧を左右するのは今川ではない、武田でおじゃろう。武田と北条の同盟が健在な間は長尾の関東制圧が上手く行く事は無い。まあその程度の事は三好家でも分かっておじゃろう。弾正殿も分かっていた。孫四郎殿は弾正殿から聞かなかったのかな?」

「……」

主膳が曖昧な表情で笑った。なるほど、あの二人、必ずしも仲は円満ではないか……。