軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

偽装

永禄二年(1559年) 三月中旬 近江高島郡朽木谷 朽木城 朽木稙綱

皆の前に地図が有った。その地図に×の印が付いている。朽木へと続く一本道だ。皆がその印を見ていた。

「此処に誘い込むというのか」

問い掛けると葉月が“はい”と答えた。

「確かに此処に誘い込めれば勝てよう。しかし高島が此処まで来るか?」

儂の言葉に倅の長門守、弟の蔵人、甥の主殿、家臣の日置五郎衛門、宮川新次郎が頷いた。

「九年前の戦でも高島は攻めて来ませんでした。決して戦は下手ではない。むしろ慎重ですな。簡単には攻め込みますまい」

五郎衛門が難しい顔をしている。九年前の戦では殿を務めた。五郎衛門の言葉には重みが有る。

「侍従様は以前とは違う。朽木には銭が有ると申されております。それに深く攻め込んだ方が和睦を勧めた六角の重みが増し高島越中守への銭も多くなる。越中守は強欲、喰いつく可能性は有るとお考えになっておられます」

弟の蔵人が“なるほど、有るかもしれませぬな”と言った。確かにあるかもしれん。しかし決して高くは有るまい。

「御隠居様」

「何か?」

「侍従様が御隠居様に病になって欲しいと」

「病じゃと?」

葉月が頷いた。皆が驚いている。

「御隠居様の病は重い、大した事は無いと二つの噂を流します。その後に御隠居様が亡くなられた、いや床に伏しているだけだと噂を流す。そして御当主の長門守様は家臣達を抑えられず家中はバラバラだという噂も流す」

皆が顔を見合わせた。

「朽木が混乱している。御隠居様の死を必死に隠そうとしている。戦意は低いと思わせるのだな?」

新次郎が低い声で確認すると葉月が頷いた。

「そうすれば長門守様が率いる兵が少なくてもおかしくは有りませぬ。残りの兵は伏兵として使えましょう。そして長門守様は然したる戦いもせずに敗走する事が出来ます」

葉月が指で道筋をなぞりながら印の場所を指し示した。唸り声が聞こえた。五郎衛門が唸っている。

「そこで伏兵に横腹を突かせるか。……長門守、如何思う? 兵を率いるのはそなたじゃが」

倅に問い掛けると倅は大きく息を吐いた。

「欲が勝つか、警戒心が勝つか、ですな。朽木には銭が有る事は越中も分かっております。上手く行くかもしれませぬ」

皆が頷いた。

「皆も良いのだな? ならば儂は病になって寝込むとしよう。元はと言えば儂が公方様に銭を渡したのが始まりよ。病人でも死人にでもなろう」

皆が困ったような表情をした。あの時、一千五百貫の銭を出すのには躊躇いが無かったとは言わぬ。だが公方様をお迎えしながら内実では公方様の御為にならぬ事もした。そのくらいはせねばならぬとも思った。まさかそれが戦を呼ぼうとは……。

葉月が“御隠居様”と話しかけて来た。

「侍従様は自分の所為だと言っておられました。自分が御隠居様に無理を強いたと。御隠居様は苦しかったのだろうと」

「そうか……」

あれが当主で有ったらと言いたくなるのを必死で抑えた。長門守は懸命に務めている。それを認めなくてはならぬ。

「噂は私共が流しましょう。皆様方は戦の準備を」

頷く者、訝しむ者が居る。

「分かった。ところでそなた、何者だ? ただの商人とは思えぬが」

葉月の顔が綻んだ。

「商人ですが商人以外の顔も持っております」

「侍従に仕えているのか?」

「はい。なかなか面白い御方でございます。底が見えませぬ。いずれ天下を動かす御方になるやもしれませぬなあ」

葉月が“ほほほほほほ”と笑い声を上げた。天下を動かすか、その姿を見たいものよ……。

永禄二年(1559年) 三月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 広橋国光

帝のお召しにより父の内大臣と共に常御所へと赴くと其処には既に関白殿下、二条太閤、左大臣西園寺公朝、右大臣花山院家輔、そして悪侍従飛鳥井基綱が居た。父が顔を歪めた。私も身体が強張るのを感じた。日野家の跡目相続問題で父は侍従に殺すと脅された。その時は脅しだと父を励ましたがあれは本気だったのかもしれぬ。

室町第で侍従は摂津糸千代丸を打ちのめした。非は糸千代丸にある。侍従を殺そうとしたのだ。短刀を抜いて襲い掛かった糸千代丸をいとも簡単に取り押さえると命乞いをする公方や慶寿院様の前で容赦なく打ちのめし庭に蹴り落した。そして次は誰が口添えしようが必ず殺すと言い放ったという。公方、慶寿院様の命乞いが無ければ殺したかもしれない。

「お召しにより御前に参上仕りました」

父が頭を下げたので私も下げた。

「両名とも良く承るように」

関白殿下の御言葉にもう一度頭を下げた。

「帝は飛鳥井資堯に難波家の再興を許そうとのお考えである」

難波家? では日野家の相続問題からは外れるという事か。父が嬉しそうな表情をしている。相続問題で勝ったと思ったのだろう。殿下が、いや帝も不愉快そうな表情をされた。困ったものよ。

「ついては難波家の所領として日野家から百五十貫を分与したい。そうお考えである」

父の顔が強張った。“広橋権大納言”と名を呼ばれたので慌てて畏まった。

「その方は武家伝奏の任にある。早急に室町第に赴き善処するように。内府は権大納言を助け帝の御意思を全うせよ」

我ら親子で公方を説得せよという事か。

「畏れながらお尋ね致しまする」

関白殿下が“何事か”と言葉を発した。

「日野家の跡目相続は如何なりましょう。室町からは必ずその事について問いが有るものと思われます。如何に答えれば良いか、御教え願いまする」

帝と関白殿下が顔を見合わせた。帝が微かに頷かれた。それを見て殿下が頭を下げられた。

「日野家については飛鳥井侍従の申す如くその跡目相続を許さず取り潰すべきかとも帝はお考えになられている。しかし代々の日野家の忠節に免じ取り潰しは避けるべきかともお悩みじゃ。未だ御心は定まらぬ。日野家についての沙汰は難波家の問題が片付いてから改めて行われる事になろう」

シンとした。西園寺左府、花山院右府は無言だ。飛鳥井侍従も無言で控えている。皆、既にこの事を知っていたらしい。

「疑念、氷解致しました。これより父と共に室町第へと赴きまする」

帝が満足そうに頷かれるのが分かった。父と共に御前を下がる。直ぐに父が話しかけて来た。

「日野家を再興させたければ難波家を再興させろという事でおじゃろう。それが出来ぬようでは日野家の再興は認められぬと。……上手く飛鳥井にしたやられたか」

不満そうな口ぶりだ。

「如何する? 公方と組んでもう一度押し返すか? 不可能とは思わぬが」

「御止めになられた方が宜しゅうございます」

私が答えると父が“何故だ”と訝しんだ。老いた、と思った。何も分かっていない。父は今年で五十四歳になる。内大臣を最後に隠居した方が良いだろう。十分な筈だ。

「その時は日野家は潰されましょう」

「……」

駄目だ、未だ分っていない。

「帝は日野家の再興を許すとは仰られておりませぬ。未だ御心は定まらぬとの事。難波家の再興が成ってから改めて検討すると申されました」

父が不満そうな表情を見せた。

「日野家を再興したければ公方を説得せよという事か」

「もっと悪うおじゃります」

「……」

「帝の御意に従わぬのなら日野家は潰すという事です。押し返すなど論外でおじゃります」

不満そうな表情は変わらない。

「父上、未だ分かりませぬか? 帝は難波家を再興させれば日野家を再興させると交換条件を出しているのではおじゃりませぬぞ。難波家を再興させよと命じておられるのです。それが出来ねば潰されても文句は言えませぬ」

父の顔色が変わった。ようやく理解出来たらしい。だが未練がましく“しかし”、“いや”等と言っている。

「我ら広橋に室町を説得せよと命じられたのも我らを試しているとは思われませぬか?」

「試している? 何を試すのだ?」

「帝に忠を尽くすのか、そうでないのかです」

「……」

愕然としている。

帝は御不満なのだ。侍従が日野家を潰せと進言した時、大きく頷かれたという。帝の御心の内には日野家の家督相続で騒ぐ者達に対する不快感が有る。侍従の意見に頷かれたのはその者達への不快感からだろう。自分を蔑にして何を騒ぐのかと思ったのだ。勾当内侍への叱責にもそれが有る。それを思えば我らが呼び出されたのは……。

「父上、我らは疑われているのです。一つ間違えば日野家どころか広橋家も取り潰しとなりますぞ」

「……」

「この件では一切不平、不満を口にしてはなりませぬ。室町の要求に耳を貸す事もなりませぬ。帝は室町に対しても強い不満をお持ちです。侍従の暗殺未遂事件では日野家を潰せと仰られた事を忘れましたか? ただ帝の御意に沿う様に動く。宜しいですな、父上」

「わ、分かった」

父が頷いた。隠居の話はまた後でだな……。

永禄二年(1559年) 四月下旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍

兄が部屋に入って来た。

「侍従は? 部屋には居らぬようじゃが」

「関白殿下の御屋敷へ行っております。急に呼び出されたようで」

兄が“ほう”と声を上げた。嬉しそうな声だ。宮中の第一人者と強い繋がりを持つ。その事を喜んでいるのだろう。

「今日は暖かいの」

「はい、ここ数日寒い日が続きましたが漸く暖かくなりました」

「これからは徐々に暑くなろう」

「左様でございますね」

兄が憂鬱そうな表情をしている。兄は暑がりだ。夏が来るのが憂鬱なのだろう。

「日野家の跡目相続が漸く終わったの」

「はい」

「父上は御不満そうじゃが上々の首尾よ」

「私もそう思います」

私が答えると兄も満足そうに頷いた。

宮中を騒がした日野家の跡目相続問題は先日、広橋家の兼保が養子に入る事に決まった。もう一人の候補者だった飛鳥井資堯は飛鳥井家の本家である難波家を再興する事になった。難波家の所領は日野家から百五十貫を分与する事で決着した。

「公方は大分不満だったと聞く」

「そのように私も聞いております」

乳母の春日局がかなり文句を言ったらしい。公方はそれに引き摺られたようだ。幕臣達、広橋内府もそれに同調したと聞く。しかし交渉に当たった武家伝奏広橋権大納言は一歩も譲らなかった。父親の内大臣を叱責し最後は日野家は潰した方が良いと帝に進言するとまで言ったのだとか。その頑なさに公方も認めざるを得なかったと聞く。

「内府が辞任した」

「はい」

「帝は慰撫しなかった」

「はい」

「大分御不満であったようじゃ」

「はい」

内府は息子である権大納言から内大臣を辞任し宮中から身を退いて欲しいと言われたらしい。広橋家の為にもならないと言われたとも聞く。相当に親子で激論になったらしいが権大納言に執拗に迫られて辞表を出した。帝の御信任が内府に有るのなら慰撫される筈だ、という挑発に乗せられたようだ。だが帝からの慰撫は無くすんなりと辞表は受理された。内府は自分が帝の御信任を失っていたのだと知って愕然としたようだ。意気消沈していると聞く。

「父上は如何お過ごしです?」

兄が“ふむ”と鼻を鳴らした。

「父上も朝廷から身を引かれるようじゃ。内府が隠居されたからの、残るわけにもいくまい」

「やはりそうなりますか」

「うむ。それもご不満の理由よ」

已むを得ない。帝の御不快は父にも有るのだ。宮中に残る事は出来ない。

「まあこれで宮中も落ち着こう。飛鳥井と広橋は高い代償を払ったの」

「左様でございますね」

兄は未だ権中納言にもなっていない。それを思えば確かに痛い。それでも兄の表情に暗さが無いのは侍従が居るからだろう。朝廷における侍従の存在は日に日に大きくなっている。帝の御前に呼び出される事もしばしば有るのだ。

「ところで朽木の事はどうなっているのかな?」

兄が小声で訊いてきた。

「さあ、私にも……」

首を振ると兄が“ふむ”と鼻を鳴らした。

「朽木が勝つようなれば侍従には戦の才も相当に有るという事になる。容易ならぬ事でおじゃるの」

「……」

無言でいると兄が私の顔を覗き込んできた。

「表には出せぬ」

「三好孫四郎でございますか?」

「うむ、いや孫四郎とは限らぬ。幕府にも現れような、侍従を目障りだと思う者、侍従を殺せと騒ぐ者が」

「……」

「摂津糸千代丸の事も有る」

「あれは糸千代丸の独断と……」

兄が首を横に振った。

「そう仕向けた者がいるのやもしれぬ。元服前の子供を操る事など容易かろう」

「まさか……」

「無いと言えるかの? 已むを得ぬ事ではあるが侍従は公方を蔑ろにした。その事を恨む者は多かろう」

兄がジッと私を見ている。答える事が出来なかった。

「帝にはお伝えするのか?」

「迷っております」

兄が頷いた。

「いずれはお伝えするべきかもしれぬが今は止めた方が良かろう」

「そうですね」

真剣な表情をしていた兄がクスッと笑った。

「出来の良い息子を持つと大変でおじゃるの」

「まあ」

「そなたを見ていると母親とは難儀なものと思うわ」

「手が掛かる子程可愛いと申します」

「なるほどのう、出来の良し悪しではないか」

「はい」

兄が今度は声を上げて笑った。

そう、出来の良し悪しではないのだ。あの子が次に何をするのかに胸がざわめく。摂津糸千代丸を打ちのめしたと聞いた時には唖然としそして笑った。何故そんな事が出来るのかと。あの子は常に私の予想の上を行く。だからあの子を守りたい、あの子の自由にやらせたいと思う。あの子には翼が有るのだから。