軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

鬼子

永禄二年(1559年) 一月中旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱

「兄様、皆が兄様を怖がっているわよ」

春齢が覗き込むように俺を見た。

「兄様ではおじゃりませぬ。侍従です」

一応婚約者なんだからさ、兄様は良くないだろう。何度も注意しているんだが少しも直そうとしない。困った娘だ。

「広橋内府を殺そうとしたって」

「……」

「それに日野家を潰せと言ったのでしょう? 飛鳥井侍従は矯激だって皆が言ってるわ」

「……」

「ねえ、兄様。矯激って何?」

思わず春齢の顔を見た。分らないで使ってたのかよ。

「矯激と言うのは言動が激しい事です」

教えると“ふーん”言った。これと結婚するの? 大丈夫かな?

「麿と結婚するのは不安ですか?」

春齢が首を振って“全然”と言った。

「兄様は頼りがいが有って優しいし、それに見ていて面白いから好き」

面白い? 優しい、頼りがいが有るは誉め言葉だけど面白いは結婚理由になるのか?

「ねえ、見せてよ」

春齢が俺の股間を覗き込んだ。慌てて身を引くと頬を膨らませた。何考えてんだ、このバカ娘。

「見せてくれたって良いでしょう。どんな竜か見たいの」

そっちかよ、どっと疲れた。

「なりませぬ。刀はむやみに抜くものでは有りませぬ。抜く時はそれなりの覚悟をした時です」

春齢が“ケチ”と毒づいた。フン、何とでも言え。

日野家の相続問題は現在継続中だ。しかし以前と違って騒ぐ人間は居ない。俺が日野家なんて潰してしまえと言った事に帝が頷いていた事で帝がこの問題に不快感を抱いているという噂が宮中で広まった。騒ぐのは拙いと思った訳だ。まあそれでもしつこく迫る人間は居る。勾当内侍が帝に日野家の相続について話そうとしたらしいが帝が自分の仕事をしろ、余計な口出しはするなと勾当内侍を叱責した事で皆がこの問題を口にするのは拙いどころか危険だと認識したらしい。今では日野家の事に触れる人間は居ない。

「だから怖がられるのよ。兄様って本当に人を斬りそう」

あのなあ、刀ってのは人を斬るために有るんだぞ。飾りじゃないんだ。

「女官達なんて兄様を見ると隠れるわよ」

「面白がられるよりはましでおじゃります」

不本意なのは俺が怖がられている事だ。春齢の言う様に女官達は俺を見ると隠れる。何で? 悪いのは広橋内大臣だろう。

あの阿呆がこっちを誹謗するからだ。俺がどれだけ周囲に気を遣っていると思っている。昇進は断っているし領地も献上した。命も狙われているんだぞ。それでも御大葬、御大典、改元と頑張った。それなのに悪く言われる。そんなに足利の命令が大事か? 日野家が大事か? ふざけんな! 少しは役に立ってみろ!

「新内侍も兄様の事を怖がっているし」

「……」

「御免なさい」

「気にしてはおりませぬ。持明院の母は麿を怖がっておじゃりました。新内侍は母から何か聞いたのでしょう」

春齢がしょ気ている。頭をポンポンと叩いてやると余計にしょ気た。困った奴。気にする事は無いんだよ。実母との不仲は誰もが知る事実だからな。

俺が宮中に入ってから持明院の母とは殆ど交渉は無い。特に母に子供が出来てからは文を送っても返事が来る事は稀だ。新内侍も俺とは会おうとしない。俺は母に援助しているのだがそれに対する礼は持明院基孝から来る。こういう話は直ぐ宮中に伝わる。その所為で俺は実母からも恐れられる鬼子だと言われているらしい。

まあ仕方ないさ。俺は父親の死を悲しまなかったし泣く事も無かった。父親を恋しがることも無かった。母が再婚する時も止めなかった。良いのかと問う母に飛鳥井家で伯父の厄介者になるよりはずっと良いと言って送り出した。あの時言われたよ。お前には情が無いって。母は何処かで俺が止めるのを、悲しむのを期待していたのだろう。俺は最善の道を選んだだけだ。それが情が無いと言うのならその通りなのだろう。

実際飛鳥井の祖父も俺の事をきついと言っているらしい。祖父は俺が日野家の養子問題で積極的に動く事を期待していた。だが俺がやった事は日野家を潰せと帝に進言した事だった。あの後祖父がもう少し飛鳥井家のために協力しろと言っていたな。それにも日野家は潰した方が良いと答えた。激怒した祖父を宥めたのは同席していた伯父と養母だった。

“侍従様”と声が掛かった。女官が部屋の入り口でこちらを見ている。何だかなあ、そんなに恐々見る事ないのに。不愉快な。

「何か?」

思わず声がきつくなった。女官が明らかに怯えている。

「き、桔梗屋が参っております」

「分かりました」

立とうとすると春齢が頬を膨らませている。

「如何なされました?」

「……あの人嫌い」

焼き餅か? “仕事です”と言って部屋を後にした。さあ、巨乳ちゃんの所へ行こう。足取りが軽いわ。

台所に行くと葉月が笑みを浮かべながら会釈をした。和むよなあ。傍に行くと小声で“内密に”と願った。見れば女官が五人程居る。仕事をしているが明らかにこちらを意識している。俺が視線を向けると動きがぎこちなくなった。やれやれだ。

「外に出ましょう」

「はい」

葉月を連れて外に出る。俺が前、葉月が後ろ、暫らく歩くと葉月が“侍従様”と声を掛けてきた。

「尾張に動きがございましたぞ。尾張の織田弾正忠様が上洛なされます」

足が止まりそうになるのを堪えた。歩きながら話を続けた。

「何時?」

「来月の頭には京に」

「……」

「供回りは百に満たぬそうにございます」

なるほど、史実通りだな。それにしても百に満たぬとなれば極秘事項の筈だ。それを探り出すとは……。

「美濃の動きに気を付けてくれ。織田殿が小勢で動いたと分かれば刺客を出すかもしれぬ」

「有りそうな事でございます。注意しましょう」

史実では刺客を出した。この世界でも出す筈だ。

「葉月は織田殿と面識は有るのかな?」

「はい、桔梗屋は織田家にしっかりと食い込んでおりますよ」

「そうか、織田殿に会いたいのだが」

「謁見の前でございますか?」

「いや、後で構わない。場所を用意して欲しい。そちらに出向く。但し麿の名は伏せて欲しい」

「分かりました。用意致しましょう。その折、我らの頭領にもお会い頂きます。宮中ではなかなか、フフフ」

「そうか、楽しみだな」

「はい」

葉月が“ホホホ”と声高に笑った。多分揺れているんだろうな。見たいと思ったけど振り返るのは我慢した。

「如何した?」

「侍従様の仰られた通り、東海道に動きが出ましたな」

「……東海道が荒れるのはこれからだ。来年は今川が動く。駿府に行けば武器、兵糧が売れるだろう。今から喰い込んでおくと良い」

「構いませぬので? 侍従様は織田様を贔屓にしておられると思っておりましたが」

ちょっと揶揄を感じた。

「葉月が売らなければ他の者が売る。それだけの事だ」

「……左様でございますな」

また葉月が“ホホホ”と笑った。そして“侍従様は手強い”と言った。そうかな? 普通だと思うんだが。

「追って来るものがおりますぞ」

「……」

さり気無い口調だったが背中にザワッとするものが有った。

「そこの角を曲がって頂けますか」

少し先の角を曲がると二人で身体を壁に寄せた。誰が来る? 足音がした、小走りに近付いて来る。音が小さい? 忍んでいるのか? 脇差に手を掛けて身構えた。葉月も身構えている。念のためだ、念のため。

現れた! 小さい?

「兄様?」

「春齢?」

現れたのは春齢だった。顔を見合わせていると葉月が“ホホホホホホ”と笑い出した。

「何をしているのです」

「……」

「何をしているのです」

幾分声を強くすると春齢が“御免なさい”と謝った。

「兄様がその人と外に出たって聞いたから……」

溜息が出た。焼き餅かよ。

「供も無しでですか?」

「御免なさい」

また溜息が出た。

「葉月、先程の件、頼みます。麿は春齢姫と部屋に戻ります」

葉月が“分かりました”と答えて頭を下げた。

「二度とこういう事をしてはなりませぬ。御身分に関わりますよ」

葉月と分かれ歩きながら言うと春齢がこくりと頷いた。

「桔梗屋には色々と頼む事も有るのです。養母上もその事は御存じです」

「御免なさい」

こうしていれば殊勝なんだけどな……。

「兄様、他にも兄様を追っている人が居たわよ」

「……」

「多分、長橋の女官だと思うけど……」

「その事、口外してはなりませぬ」

春齢がこくりと頷いた。長橋というのは勾当内侍に与えられた居室の事だ。勾当内侍が俺を探っているという事か。問題はどの筋が俺を探らせたかだな。高倉か、広橋か、或いは足利か。用心が必要なようだ。

永禄二年(1559年) 二月上旬 山城国葛野・愛宕郡 室町第 織田信長

「殿、如何でございましたか?」

謁見が終わって控えの部屋に戻ると馬廻りの蜂屋兵庫頭頼隆が心配そうに問い掛けてきた。隣りでは金森五郎八可近も同じ様に心配そうに俺を見ている。

「宿に戻るぞ」

二人が何も言わずに頭を下げた。不首尾だったと分かったのだろう。宿で待っている者達もがっかりするだろうな。気の重い事よ。

尾張守護にとは言わぬ。だが尾張の諸侍への指揮権を頂ければと思ったのだが……。そうなれば岩倉の織田伊勢守信賢に対しても有利に立てると思ったのだがな。やはり岩倉は独力で滅ぼさねばならぬか。……公方も 吝(しわ) いわ。三好に押されている今ならこちらの歓心を買おうと多少は奮発するかもしれんと思ったのだが……。

室町第を出ると寒風が身に沁みた。早く宿に戻って暖を取りたいものよ、そう思っていると“織田様”と声が掛かった。女の声だ。視線を向けると見覚えのある女が居た。遠目にも胸の豊かさが分かる女だ。

「桔梗屋か」

「はい」

女がにこやかに頷いた。そういえば桔梗屋は京に本店が有ると言っていたな。妙な所で会うものよ。

「御用は御済ですか?」

「うむ」

返事が渋いものになった。

「ならば少し御時間を頂けませぬか」

「……」

「織田様にお会いしたいという方が居られます」

なるほど、偶然では無かったか。俺を待っていたというわけだ。

「誰だ、それは」

「私の口からはそれは……。ただ会って損の無い御方です」

桔梗屋は笑みを浮かべている。ふむ、相手が俺と会った事を公にはしたくないという事か。何者かは知らぬがもったいぶる事よ。京にはもったいぶる者が多いな。まあ良い、このままでは何の土産も無しで尾張に帰る事になる。会ってみよう。

「案内を」

桔梗屋が“はい、こちらでございます”と答えて歩き出した。蜂屋兵庫頭と金森五郎八が“殿”と言ったが無視して歩き出した。桔梗屋は尾張で十分潤っている。俺を謀る恐れは無い。それに供は二十人居る。着いたら残りの者を呼べば良いわ。

桔梗屋が案内したのは室町第からそれ程離れていない所にある家だった。屋敷では無い、だがそこそこの大きさは有る。商人の住まいかもしれぬな。直ぐに供の者が 内(なか) を 検(あらた) めた。桔梗屋は黙ってそれを見ていた。

「屋内は調べておりませぬがおかしな所は有りませぬ。人を伏せた形跡も有りませぬ」

「分かった、俺は中に入る。五郎八は供をせい。兵庫頭はここで待て、使いを出して残りの者を呼べ」

二人が“はっ”と畏まった。

桔梗屋の後を五郎八が、その後を俺が歩く。五郎八は左右に眼を配りながら歩いている様だ。桔梗屋が或る部屋の前で膝を着いた。

「葉月にございます。織田様を御連れしました」

「有難う、手数を掛けた。入って貰ってくれ」

桔梗屋が戸を開けた。五郎八が中を見た、そして脇に控えた。危険は無いという事らしい。

中には大きな火鉢で手を焙っている直垂姿の子供がいた。十歳程か。“こちらへ”と中に誘った。桔梗屋を見た。笑みを浮かべながら“どうぞ”と言った。会わせたい人物というのは中の童子らしい。中に入ると身体が暖かい空気に包まれた。“供の方も入られよ、葉月も遠慮するな”と童子が言った。五郎八が躊躇している。俺が頷くと中に入って来た。桔梗屋も“失礼致しまする”と言って入って来た。

「外は寒い。さ、こちらへ。火鉢にあたられると良い」

童子が笑みを浮かべながら誘ってきた。躊躇わずに前に進み童子の前で座った。手を火鉢で焙る。暖かいと思った。

「供の方もあたられよ」

五郎八が躊躇っていると童子が笑った。

「身体が、特に手が 悴(かじか) んではいざという時に動けまい。私が織田殿を害そうとしたら何とする。遠慮せずに此処に座られよ」

童子が自分の横を指し示した。五郎八が“失礼いたしまする”と言って横に座った。直ぐに手を焙り出す。なるほど、寒かったらしいな、そう思うと可笑しかった。

「葉月も此処へ」

童子が反対側の座を指し示した。

「宜しいのでございますか?」

「男三人で火鉢を囲んでもな、身体は暖まっても心は寒いわ」

桔梗屋が“あらあら”と笑いながら席に着いた。妙なものよ、何時の間にか童子に操られて四人で火鉢を囲んでおる。身分などというものは何処かに飛んでしまったな。

「お招き忝い。ところでお主、何者だ」

童子が眼で笑った。こいつ、何者だ?