「毒舌令嬢」と呼ばれていますが、私は事実しか口にしておりません
作者: 村沢黒音@『もふ保護2巻』4/10発売
本文
「――うわ、怖い!」
開口一番、婚約者であるアルフレッド殿下はそう言った。
私は手にしていた書類へ視線を落としたまま、首を傾げる。
「どの部分がでしょうか?」
「どの部分って……全部だよ!」
アルフレッド殿下は、怯えたように顔を青ざめる。更には肩を震わせながら、自分の体を抱きしめた。
対する私は、表情一つ動かさない。
常に冷静に――それが公爵令嬢としてのたしなみだからだ。
第三者が私たちの姿を見れば、「怯える王子を、冷徹に見つめる女」のように見えただろう。
「ヴェロニカ! 君って、どうしてそんなに言葉が冷たいんだい?」
「冷たい……ですか?」
「そうだよ! もっとこう……柔らかく言えないのかい?」
私は少し考えた。
柔らかくということは、何か緩衝材でも挟めという意味なのだろうか。
貴族同士では、遠回しな言い方をすることも確かにある。早く帰ってほしい時に、「香葉の浅漬けはいかがでしょうか」みたいに。
でも、アルフレッド殿下にそう言っても、「僕は、浅漬けは好きじゃないんだ。スコーンが欲しい。ついでにお茶のお代わりも」って返ってくる。
殿下に遠回しの言い方は、まったく伝わらないのだ。
だから、私は直球で言うようにしていた。
それなのに、今度は『怖い』だなんて。
「殿下。私はただ、『この予算案では、来月には生徒会費が底を突きます 』と申し上げただけです」
「ほら! そういうところ!」
アルフレッド殿下は、びしりと私を指差した。
「普通の令嬢なら、もっと優しく言うんだよ!」
「優しく、とは?」
「いいかい? 君の言葉は冷たすぎる。優しさ……つまり、人間味が足りないんだ。こういう時は、『きっと何とかなります!』と言うものだ」
「それは、嘘になります。このままでは実際に破綻しますので」
「ほら、そういうとこ! だから、怖いって言ってるんだ」
意味がわからない。
破綻するものを「順調ですね」と言えば、それは虚偽ではないだろうか。
緩衝材ではなく、煙幕だ。
これまでだってそうだった。
『生徒会費で、殿下専用のティーセットを新調することはできません 』
『交流費と書けば、何でも経費になるわけではありません 』
『その友人を会計係にするのはおやめください。計算ができていません』
すると決まって、彼はこう言うのだ。
『うわ、怖い! 君は毒舌なんだね』
私はずっと不思議だった。
なぜ事実を述べただけで、こんなに怖がられてしまうのだろう、と。
そんなことが続いた――ある日のこと。
「ヴェロニカ・エヴァレット! 君との婚約を破棄する!」
昼休みの学園食堂。
ざわめいていた空気が、一瞬で静まり返る。
周囲の生徒たちは、食事の手を止めて、こちらを見ていた。
アルフレッド殿下はまるで悲劇のヒロインのように、眉を垂らし、頼りない雰囲気を作り出していた。
「君はいつもそうだ。冷たくて、きつくて、人を傷つけることばかり言う。その言葉に、これまで僕がどれほど傷付けられたことか……」
食堂のあちこちで、ひそひそ声が上がった。
「殿下、あんなに怯えて……可哀想に」
「見て、ヴェロニカ様の氷のような表情……本当に怖いわ」
「殿下も大変だったのね……」
殿下は以前から、周囲へ色々と話していたらしい。
『婚約者が怖い』
『いつも責められている』
『冷酷すぎる』
その結果、私はいつの間にか『氷の毒舌令嬢』と呼ばれていた。
「ヴェロニカ……何か言うことはないのかい?」
私は少し考え、答えた。
「特には」
「……は?」
「婚約破棄、承知いたしました」
むしろ、安心した。
価値観のちがう相手との会話は、正直かなり疲れる。
すると殿下は、信じられないものを見る顔をした。
「君は悲しくないのか?」
「婚約は、双方の合意で成り立つものです。片方が継続困難と判断したなら、解消は合理的かと」
「ほ、ほら! そういうところだよ!」
ばん、と殿下はテーブルを叩いた。
「君はいつだって正論ばかりだ! もっと、人間らしい感情ってものがないのかい!?」
「感情で赤字は埋まりませんので」
「そういう話じゃないんだよ!」
殿下は顔を真っ赤にしながら叫んだ。
その時。
「ぶはっ……!」
誰かが大きく吹き出す声。
視線の先には、一人の男子生徒が座っていた。
銀灰色の髪。鋭い碧眼の整った顔立ち。
隣国からの留学生――フェリクス・アークライト殿下だった。
周囲からの視線が集まると、彼は笑いながら手を振った。
「あー……いや、悪いな。『そういう話だろうが』と思ったもんで」
低く落ち着いた声が、食堂へ響いた。彼は呆れたように肩をすくめながら、アルフレッド殿下を見る。
「生徒会費を私物化しようとして止められたら、『怖い』か?」
「私物化じゃない! 交流のためだ!」
「殿下専用のティーセットが?」
「うっ……使うのは僕だけじゃないぞ! もちろん、皆で使うつもりだった」
「なるほど。『皆で使う予定』なら、何でも経費で通るわけか。なら、服も馬車も別荘も、すべて経費だな」
周囲が耐え切れない様子で、「ふふっ」と笑った。
フェリクス殿下はにやりと笑って、畳みかける。
「それに、殿下が会計係に据えようとした友人は、指で足し算をしていたそうだが?」
更に笑い声が大きくなった。
アルフレッド殿下の顔が引きつる。
「そ、それとこれとは、関係ないだろう! 君が言っているのは、すべて屁理屈だ!」
「屁理屈を述べてるのは、君の方だよ。ヴェロニカ嬢は、ただ事故を止めていただけだ」
フェリクス殿下はそう言って、私を見る。
「こんなに話が通じない奴と会話するなんて……今まで大変だったな」
心底同情したような声だった。
私は少しだけ驚いて、目を瞬かせる。
初めてだった。
殿下の流した噂のせいで、皆から私は怖がられている。私が何か口を開こうとするだけで、『出るぞ、毒舌が!』と身構えられてしまうのだ。
だから、『怖い』ではなく、こんな風に同情的な視線を向けてもらうのは、初めてのことだった。
私はフェリクス殿下にお礼を言おうとした。
しかし、それよりも早く、フェリクス殿下は片手を振って、その場から去ってしまった。
◇
婚約破棄から、一か月後。
生徒会は、見事なまでに破綻していた。
予算は底を突き、文化祭準備は遅れ、会計帳簿は行方不明。
アルフレッド殿下は、「どうしてこんなことに……」と頭を抱えていた。
私は全部、事前に指摘していた。
だけど、当時の殿下は、
『なんて疑い深いんだ』
『あー、怖い!』
『君は、人を信じられないのか!?』
と言って、取り合わなかった。
結果、被害は拡大した。
そして――。
「君の力を貸してほしい」
ある日、アルフレッド殿下は私の下を訪れた。
以前よりやつれた顔で、必死さを滲ませている。
「断ります」
「なっ……!」
「私は冷酷な女なのでしょう? 殿下のお役には立てません」
「そ、それは……」
殿下は顔を引きつらせた。
「確かに言い過ぎたとは思う! だが、今は非常事態なんだ!」
「そうですね。非常事態です」
私は淡々と頷いた。
「だからこそ、以前から申し上げていたのです」
殿下は言葉に詰まる。
「君は、またそうやって……!」
「事実を述べています」
「っ……! なんて冷たい女なんだ! こんな時まで、心ない言葉ばかり……!」
彼は悔しそうに唇を噛んだ。
私は内心で呆れ果てる。
これが、心のない毒舌……?
ただ事実を述べてるだけなのに。
その瞬間。私はふと思った。
これだけで毒舌になるのなら、本当の毒舌を浴びせたら、殿下はどうするのだろうと。
だって、私は『氷の毒舌令嬢』。
これ以上、下がる評判もない。
「わかりました。殿下がそこまで『毒舌』を恐れるのでしたら、そうしましょう」
「え……?」
殿下の顔が引きつる。
私はほほ笑んで、言った。
「殿下の思考会議には、『現実』が招待されていないようですね 」
「ふぇ……? えっ!?」
「書類も読まず、忠告にも耳を貸さず、都合の良い言葉だけを信じる。失敗すれば周囲のせい。殿下の自己評価は、ずいぶん景気が良いのですね」
「えっ、ケーキ? 僕は苺のケーキが好きだ」
「どこまでもご自分に甘いのですね。柔らかい言葉が聞きたいと主張される割には、殿下は婉曲表現を、だいたい食べ物の話だと思っておられます」
食堂が静まり返る。
殿下は硬直していた。たぶん、私が何を言っているのか、まったく理解できないのだろう。
その時、
「くっ……あっはははは!」
笑い声が響いた。
フェリクス殿下が腹を抱えて笑っていた。
「キレッキレじゃねえか! さすがは毒舌令嬢だな」
私も思わず、笑ってしまった。
彼があまりに面白そうに笑うから。久しぶりに声を上げて笑うことができた。
「フェリクス殿下の言葉の鋭さには負けます」
「いや、君の毒舌の方が最高だよ」
フェリクス殿下は笑いすぎて、滲んだ目尻を指で拭った。
「俺のは殴っただけだ。君は切れ味のいいナイフで、何度も突き刺した」
それは、褒め言葉なのだろうか。
ただ物騒なだけでは?
判断に困っていると、フェリクス殿下は楽しそうに続けた。
「しかも面白い。最高だろ」
「面白い、ですか」
「自覚なしかよ」
彼はまた吹き出した。
アルフレッド殿下は顔を真っ赤にして震えている。
「ぼ、僕を馬鹿にしているのか!?」
「逆だよ、逆。ヴェロニカ嬢は今まで、ずっと優しかったぞ」
フェリクス殿下は、にやりと笑った。
「本当に容赦なかったら、『生徒会費でティーセットを買うのはおやめください』なんて、生ぬるい止め方はしない。……で? 毒舌のヴェロニカ嬢なら、そんな時は何て言う?」
「そうですね。まず、『横領の練習ですか?』と尋ねて」
「ひぃ……!」
「『殿下は錬金術でも学ばれているのですか? お金が自然に増える前提で話しておられるので』と言います」
「ひ、ひどすぎる! 君は人ではなく、悪魔だ!」
アルフレッド殿下は蒼白になって震えるが、フェリクス殿下は大笑いした。
彼だけでない。
食堂のあちこちから、笑い声が響いていた。
「ふ、ふふ……っ、殿下が、錬金術……!」
「もうだめ、おかしい……!」
「錬金殿下……ぶふっ」
その笑い声がすべて、自分を馬鹿にしているものと受けとったらしい。アルフレッド殿下は顔を真っ赤にして、足を踏み鳴らした。
「なんだ!? 笑うな! 何がおかしい……!?」
「ほらな。君の毒舌は最高だよ。ヴェロニカ嬢」
フェリクス殿下はそう言って、私の肩をねぎらうように叩いた。
アルフレッド殿下は助けを求めるように周囲を見渡す。しかし、皆、笑ってばかりいる。アルフレッド殿下は、私を指さして喚いた。
「悪いのは、ヴェロニカだ! ヴェロニカはいつも僕を否定するんだ!」
「ちがうな」
フェリクス殿下の声が、すっと低くなる。
「君が勝手に、『現実』を否定だと受け取ってただけだ」
「…………っ」
「今後はヴェロニカ嬢に頼るなよ。お得意の錬金術で、生徒会の方はどうにかしてくれ」
周囲の生徒たちは、もう隠そうともせず笑っていた。
以前なら、私が何か言えば空気は凍っていたのに。
不思議だった。
隣にフェリクス殿下がいるだけで、こんなにも空気がちがう。
するとフェリクス殿下が、ふと私を見た。
「ヴェロニカ嬢」
「はい?」
「今、暇か?」
「生徒会は崩壊寸前ですので、お忙しいのでは?」
「ちがう。君の予定だ」
彼は笑いながら続ける。
「君の言葉は面白い。俺はもっと君と話したい。一緒に食事でもどうだ?」
私は少し考える。
そして、答えた。
「はい。……フェリクス殿下には、“香葉の浅漬け”も通じそうですから」
「はは! 期待されてるな、それは」
「ふふっ、それはもちろん」
私は思わず笑ってしまった。
自分の言葉が通じることが、こんなに楽しいなんて。
私ももっと、この人と話したいと思った。
「待て!」
アルフレッド殿下が、慌てて声を上げる。
「ヴェロニカ! 君は僕の婚約者だったんだぞ!」
「元、です」
「そういうところだ!」
「……もっと厳しい言い方の方がよかったですか?」
「うっ……!」
殿下は言葉に詰まる。
彼に構わず、フェリクス殿下は言った。
「では、ヴェロニカ嬢。行こうか」
芝居がかった仕草で私へ手を差し出す。
私はその手をとり、
「では、ご一緒します」
「お、即答だな」
「フェリクス殿下とは、言葉が迷子になりませんので」
一瞬きょとんとして、
フェリクス殿下は吹き出した。
「ははっ。じゃあ今後も、ちゃんと受け取る努力をするよ」
並んで歩きながら、私は心から思った。
――ああ。
誰かと話すことは、本当はこんなにも楽しいものだったんだ。
これからは『言いたいこと』を我慢しなくてもいいのかもしれない。
そんな未来を想像して、私の口角は自然と上がっていた。