軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

474.グレン・ウォーカー

『黒い糸』による攻防が続く。

いや、長引く。

『魔人化』による負担は、僕の体を蝕み続けている。

治療で一時的に取り繕えてはいたが、すでに『血陸』のときよりも状態は悪い。

身体の半分近くがモンスターと化していて、人間らしい部分がほぼ残っていない。

攻撃を繰り返すだけで、甲殻のような皮膚がパキパキと割れては、自傷していく。

その隙間から血が溢れ流れては、身体が赤く染まっていく。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」

息が切れる。

身体のキレも落ちる。

しかし、セルドラは避け続けるだけで、特別な追撃を全くしてこない。

『 竜人(ドラゴニュート) 』の力どころか、魔法すら使わない。

事前に、セルドラとスノウさんの戦いを盗み見たからこそ、理由がわかる。

――セルドラはスノウさんに甘い以上に、この僕に甘い。

ゆえに僕を心配して、わざわざ大きく距離を取り、戦いまで止める。

こちらに息を整える時間を与えて、忠告を繰り返す。

「…………っ!! おい、グレン!? 何を出し惜しみしている!! このままだと、死ぬぞ!! いいのか!?」

すぐ気を遣う。

すぐ相手の顔色を窺う。

わかっている。自分のことだ。

時間切れが近いなんて、忠告されずともわかっている。

ここから生き残るには「『無の理を盗むもの』の魔石を心臓代わりにするしかない」ということも、おまえの態度で気づいている。

――だからこそ、確かめる必要がある。

僕も戦いを中断して、両手を下ろした。

全ての『黒い糸』を地面で休ませて、話し始める。

「はぁっ、はぁっ……。ああ、セルドラ……。お前の読み通り、僕には奥の手がある。ウォーカー家に伝わる奥の手だ……」

ファフナーが『血陸』で、カナミ君相手に命懸けで確かめたように。

僕も命懸けで、やらないといけないだろう。

その僕の 話(エサ) に、セルドラは喜色を浮かべて、食いつく。

「奥の手ぇ? ……つまり、秘伝の奥義ってことか!? くはは! やっぱ、出し惜しみしてたか! そりゃいい! いい話を聞いた! 鮮度が高く、美味そうな話だ!!」

「ウォーカー家は、世界中から有望な子供を集めては、血に組み込んだ……。その力は交配を重ねていく内に、鋭い刃物のように研ぎ澄まされていった……」

僕はスノウさんの続きのつもりで話しつつ、息と準備を整えていく。

それをセルドラは呑気に喜び、嗤っていく。

「おいっ、おいおいおい! いいなっ、ウォーカー家ぇっ! スノウが身に着けた『 竜人(ドラゴニュート) 』らしからぬスキルといい、想像以上に楽しませてくれる! どうして、千年前にはなかったのか不思議でならねえくらいだ! くははっ!!」

それは前から僕も思っていたことだ。

こんなに手段を選ばず、欲深くて、恥知らずな一族だというのに、たった千年の歴史のみ。

その「 丁度(・・) 、千年の歴史のみ」という意味が、いまの僕ならよく分かる。

「いや、ウォーカー家は、別の名前で千年前からあったんだ……。それを丸ごと奪い、いまの四大貴族に作り変えたのが、あの聖人ティアラ様というだけで……。遠い遠い昔から、僕たちの血脈はあったんだ、確かに……」

「は? ……ティ、ティアラだと?」

急に出てきた名前に、セルドラの表情は一変して、歪んだ。

愉快な顔だったので、準備ついでにティアラ様の話も続ける。

「ティアラ様に作られ、名づけられた貴族ウォーカー家には、ある家訓と役割があった。……おまえも知っているだろうが、それは連合国で『英雄』を見つけること」

千年前、ティアラ様に弄られた血脈は、ウォーカー家だけではないだろう。

大陸の貴族家は全て、千年前の勝利者であるティアラ様の『作り物』だ。

その痕跡を出発前に、千年前 の前(・・) の歴史に詳しいファフナーが確認した。

「歴代のウォーカー家当主たちは、目指し続けた。なぜ『本当の英雄』が必要なのかも知らず、一族から輩出しようと……。必死に、『予言』に沿って……。まるで、伝統の儀式のように……。どこかで聞いたことのある話だと思わないか? なあ、セルドラ」

「……俺の故郷の儀式のことを言ってんのか?」

その通りと、僕は頷いた。

『本土』全ての血脈が、隠れ里も貴族たちも含めて、とある儀式だった。

セルドラの生まれ故郷とフィリオン家と同じく。

「ただ結局、ウォーカー家の納得できる『本当の英雄』が現れることは、ついぞなかった……。当たり前だ。『本当の英雄』なんて 何処(どこ) にもいないと、ティアラ様は最初から知って、家訓に組み込んでいたんだからね。どう足掻いても、見つかりっこない」

「まあ、もし『本当の英雄』がいるとすれば、それは我らが神――いや、ティアラから考えると、ラスティアラか? どっちにしろ、何もせずとも勝手に現れる存在だった。本当に無駄な儀式だったな」

「いいや――」

セルドラは興味深そうに頷き、同情しようとした。

が、すぐさま否定する。

「何一つ無駄じゃなかったと、おまえも分かっているだろう? スノウさんのおかげで、もう間違えようがない。全ての血の道は、一つの道に繋がっていた。その血の深さは、千年の歴史も優に超える。ゆえにグレン・『ウォーカー』は、この先にどんなトラウマが待っていても、ただ歩くだけでいいだろう。――セルドラ・クイーン『フィリオン』も、そうだろう?」

「グレン……? 何を言っている? なぜ……、いま、そんなことを話す?」

その曖昧過ぎる話の締め方に、セルドラは困惑の表情を浮かべた。

僕の話が全く分からなかったわけではないだろう。

ただ、もうセルドラは何も託されたくないし、知りたくもないし、考えたくもない。

ただ歩くことすら、もう諦めてしまったのが、よく伝わってくるから――

「いま、そのウォーカー家の集大成を見せよう。おまえの身に刻み込み、教えてやる」

最後の確認をすべく、大技の宣言をした。

もう時間切れは近い。

急ぎ、下ろした両腕に垂れる『黒い糸』に、最後の魔力を流す。

「あ、ああっ! やれ! その無駄な儀式の集大成とやらを、見せてみろ! どれだけの『代償』だろうとも、この俺が食らい、味わい、愉しんでやろう!!」

セルドラは思考を捨てて、戦いに集中し直す。

もう全て無駄だと思っているからだろう。

自分のことはどうでもいいんだと、この戦いを急ぐ。

死に直面している僕以上に、セルドラは生き急いでいた。

「ああ、 食らえ(・・・) ……、セルドラ……!」

「来いっ! 現代の『最強』を名乗る男グレン・ウォーカーよ! 千年前の『最強』の 竜人(ドラゴニュート) セルドラ・クイーンフィリオンが、受けて立とう!!」

僕の叫びに、セルドラは嬉しそうに呼応した。

すぐさま張った罠を全て、起動させる。

「――魔法《アースクエイク・ 黒脈(ダークパルス) 》!!」

罠の名は、地震の魔法《アースクエイク》。

99層の地面が揺れる。

唯一、僕に適正のあった地属性の中、最も上級の魔法だ。それを『黒い糸』を利用して、増幅させる。

ずっと足を止めて、馬鹿みたいな実家語りをしたのは休憩の為だけではない。『黒い糸』を地面に接着させて、魔法を構築・浸透させる時間が必要だった。

「――『しがみ掴め』『蟲毒の震える翅よ』!!」

『詠唱』を足して、 翅(はね) と呼んだ。

元々『黒い糸』は糸ではなく、裂いた翅だ。

虫の翅に広がる 線(ライン) は 翅脈(しみゃく) と呼ばれ、体液運搬などの役割を持つ。

その翅脈の役割を利用して、『 魔石線(ライン) 』の『術式』を活用して、『黒い糸』を地面に這わせて、どこまでも広げ、流し、支配していく。

――つまり、魔法《アースクエイク・ダークパルス》とは、この99層の広い地面をグレン・ウォーカーの翅にする魔法。

しかし、 飛翔(と) べるわけではない。翅を毟られている虫だ。

それでも、『竜の咆哮』のように地面を大きく震わせて、揺らす。

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!!!!」

『蟲の羽音』の 振動(こえ) を伴った地震が発生した。

その魔法は、揺れで敵の体勢を崩すだけではない。

『黒い糸』を経由した振動で、範囲内のあらゆる 態勢(もの) を崩す。

魔法を崩し、身体を崩し、敵の魂そのものをも崩す。

それは経験豊富なセルドラといえど、初見で、不可避。

「…………っ!? くっ――、ぐ――」

『竜の風』と『竜の翼』で上手く飛べず、セルドラは呻いた。

グレン・ウォーカーの 翅(つばさ) で、セルドラ・クイーンフィリオンを99層の翅の上で拘束した。

さらに次。

続けて、動けなくなった敵に向かって、黒き 翅脈(しみゃく) を集めていく。

振動も 一か所(セルドラ) に凝縮させつつ、凶器である『黒い糸』も近づけていく。

これから起こるであろう事態をセルドラも予期して、どうにか逃げようと足掻く。

させるかと、さらに僕は震わせた。

生命も魂も全て絞り尽くし、魔法の振動を増幅させ続ける。

「墜とせぇえええええええええええええええっ―――!! ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!!!!」

喉も翅も魂も震わせての壮絶な『蟲の羽音』。

地上では使えないだろう。

常人ならば、耳にしただけで脳に異常をきたすからだ。

振動に触れただけで、魂が崩れ出す。

その凶悪な魔法によって、セルドラは逃げ飛べず、『黒い糸』に囲まれ切った。

続いて、地面に張った翅脈が、浮く。

意思を持った触手のように蠢き、意思があっても動けないセルドラを包み込む。

――無数の『黒い糸』は、まるで鳥籠のように編まれていった。

もう逃げられないとセルドラは判断したようで、両腕で頭部を守りつつ、全身に力を込めて、構えた。

自らの『竜の鱗』と『適応』に任せ切った防御の姿勢で、呻き声をあげ続ける。

「ぐぅっ! くぅううっうううっっ――!!」

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!!!!」

容赦なく、『蟲の羽音』で捕え続ける。

そして、成功した。

いま完璧に、魔法《アースクエイク・ダークパルス》内でセルドラを捕らえた。

あとは全身全霊をもって、敵の厚い防御を崩し、止めを刺すだけ。

それが可能な力を、『黒い糸』は持っている。この 竜退治(とき) の為に、『血陸』で作られ、研ぎ澄まされた刃だ。

なにより、決死の『魔人化』のおかげで、身体から人生最高の魔力が迸っているのが自分でもわかった。ここまでの僕の行動全てが『代償』となり、あらゆる力が増幅している。

おかげで、これから、現代で『本当の英雄』を名乗った男が、千年前の『最強』を乗り越える。

命懸けの戦いの末に。

まるで英雄譚のように。やっとだ。

やっと僕は、『最悪』の男を殺せる。

その いい流れ(・・・・) に乗り、全ての決着を付けようとして――

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――「くはっ、は―――――――――――――――ははは、―――――――――― あぁ(・・) ――」―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!!!!」

交じる 振動(こえ) 。

セルドラの断末魔。

嗤うのは、構わない。

問題は、その次だ。

セルドラは「あぁ」と一息ついた。

間違いなく、いま、ついた。

その確認をしてしまった。

「おまえ……、セルドラ……。このっ……」

だから、僕の手が止まる。

あと一押しで、セルドラを殺せるというところで、全てが止まった。

あとは『黒い糸』を強く引っ張るだけで、セルドラの頭部は破壊されて、粉々だ。魂の切断も伴って、『竜の血』による修復を許さない。これも『不死殺し』に特化した特殊な攻撃だ。さらには溢れる血も、翅の振動で残さず蒸発させられる予定――

予定(ながれ) に沿えば、戦いは終わる。

僕の《アースクエイク・ダークパルス》によって、セルドラを殺せる。

それは余りに――

余りに、手加減が過ぎる。

そう思った。

正直、いかに僕が『竜化』できないように追い詰めていたとはいえ、セルドラが魔法を一切使わなかったのは、手加減としか言いようがない。

この魔法《アースクエイク・ダークパルス》は、確かに奥の手。

各地の『獣人』たちの秘伝と鋼線の技術を掛け合わせて、ウォーカーとしての人生を収束させた魔法だ。世界で僕だけしか使えない即死魔法で、これを耐えられる『人』はいない。絶対に、いないだろう。だが――

耐えられる『人』は絶対にいない程度の魔法だ。

その程度で、この『最強』の『 竜人(ドラゴニュート) 』のセルドラが死ぬ?

死ねるほど、この男の魂が 罪浅い(やわらかい) と思うか?

「そう簡単に……、死んでいいわけが、ない……。もっと僕たちは……、もっと……」

弱々しくも、それを僕は認めてしまった。

確かめてもしまった。

セルドラは門番だから99層に立っていたのではなく、ここを必ず通る僕を待っていただけだ。ファフナーを待っていた清掃員ちゃんと同じだ。

そして、おそらく、 死ねそうな流れ(・・・・・・・) になれば、そのまま身を任せると、最初から決めていた。

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッ!!!!」

虚しい『蟲の羽音』だけが鳴り続ける。

僕の身体から魔力も生命力も吸い出して、主が弱っていくのも無視して、「いいから早く、この宿敵を殺せ」と喚いている。

分かっている。

セルドラを殺すのは、僕の悲願だ。

なにせ、この大量殺人鬼を殺せば、僕は『僕に引かれた魂』たちに贖罪ができる。

ずっと謝りたかった。

魂に染みついた口癖のように「ごめんね」と、いつも心中では謝っていた。

たくさん僕は人を殺してしまったけど、もっとたくさんたくさん人を殺したセルドラを殺したから、どうか許して欲しいと。

そう謝る為に、ずっと僕は『最悪』な―― 僕以上の悪党(セルドラ・クイーンフィリオン) が現れてくれるのを、ずっと待っていた。

はっきり言って、ここまで僕がセルドラに執着していたのは、私利私欲。

僕の個人的な悲願。

――その自らの人生の悲願を前にして、脳裏によぎるのは僕に殺された人たち。

始まりは、故郷の隠れ里だった。

生まれたときから、たくさんの毒を呑まされた。あらゆる毒の調合を試されて、不運にも僕は、その儀式で生き残ってしまう。

隠れ里にウォーカー家当主たちが現れたあと、僕は故郷の全員を殺した。

その最悪過ぎる儀式に理由はなかったと、当時の『元老院』から真実を知らされたからだ。それから先は、周囲から言われるがまま、毒の力を振るいに振るう人生。

気弱な優等生を騙りつつ、実際のところは『最悪』の殺人鬼。あの頃と、同じ動きでいいんだ。上からの指示通りに、相手は悪いやつだから殺していいと自分に言い聞かせて、鋭い糸を引っ張るだけ。それだけで、セルドラを殺せる。たったそれだけで――

それだけではなく、他に友人たちもたくさんいた。

その器の大きさで、僕を守ってくれた『エピックシーカー』ギルドマスターのウィル・リンカーさん。

全てを知った上で、友人となってくれたパリンクロン・レガシィも。それにレイル、ヴォルザーク、テイリ、アリバーズ、たくさんのギルドメンバーたち。

色々な場所で、たくさんの人たちと知り合った。貴族家の友人には、同じ四大貴族だったヘルヴィルシャインたちが多かった。ライナー君とは気が合ったけれど、長兄のハインとは何度か喧嘩してしまった。

そして、最近だとカナミ君にローウェンさん。

最後に、悲願のセルドラ・クイーンフィリオン。

スノウさんと向き合うと、まるで二人は 父娘(おやこ) のようで――

「 あぁ(・・) ――」

だから、僕も。

一息ついてしまう。

その一息の時間が、戦いの分かれ目。

すぐに『代償』は支払わされる。

いまの逡巡が、僕の人生の 走馬灯(・・・) だったと気づかされて――

「ぐ、ぁ――、がはっ、ァ――」

吐血した。

全身から、力が失われる。

地面に膝と両手をついた。

セルドラを殺す直前で手を止めたまま、這い蹲る。

魔法《アースクエイク・ダークパルス》の地震と怪音が止まる。

止(とど) めの『黒い糸』はセルドラに絡みつけども、殺すには至らないまま、終わった。

当然、その魔法を食らっていたセルドラは呆然として、すぐに疑問の声をあげる。

「…………っ? なっ!? は? お、おい……、おい!!」

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」

息がきれるというより、魂がきれるという感覚だった。

視界は霞むのに、野垂れ死ぬ未来だけがはっきりと見える。

その未来をセルドラも感じたようで、激励を始める。

「あ、あと一押しだろう!? たかが心臓がない程度で! へばるな、グレン! ここで、俺の魔石を得たら、無限の生命力を得られる!! やれ!! 兄妹揃って、 竜人(ドラゴニュート) に!! 二人で『最強』になれ!! 本当の『最強』とは、そのことを言ったんだろう!? あと少しだ! なのに、どうしてっ、そこで! そこでぇええぇええ!!」

あと一押し。

分かっている。自分のことだ。

だから、僕は諦めない。

――誰の『糸』にも負けない。

おまえの望み通りの結末には向かわせない。

僕の望み通りの結末にも向かわない。

そんな全員にとって甘く、楽な道は選べない。いや、そんな カナミ君だけが(・・・・・・・) 辛く、苦しい道に引っ張られはしない。

その僕の強固な意思を感じたのか、セルドラは裏返った声を出して、初めて絶望の表情を見せる。

「グ、グレン! グレンッッ!? おまえもなのかあっ!?」

相応しい顔だ……。

罪悪感が紛れる? やっと楽になれる? ゆっくりと休む? 穏やかな顔で?

僕たちが憧れて目指した『本当の』と名の付く存在は、そんな誰かの作った 流れ(・・) に身を任せて生きる者ではない。

「どうしてだ!? おまえも、俺を殺してくれは……――っ!?」

セルドラは呼び続ける途中、止まった。

何かを感じて、急ぎ、振り向いた。

視線の先、遠くに 魔法の扉(コネクション) があった。

その下に広がった血溜まりから、いま這い上がろうとする一人の男がいた。

血塗れのファフナー・ヘルヴィルシャインが、早くも帰還していた。

上半身を出して息を整えつつ、99層の状況を把握して、困惑している。

そう簡単に、いまの状況は分らないだろう。

しかし、そのファフナーの困惑を無視して、セルドラは歓喜して懇願する。

「ファフナー!? 清掃員(ネイシャ) の地獄から戻ってきたのか、ファフナー!! 流石は、全ての『魔人』の希望の光! 心臓を失えども、毅然と地獄を歩み続ける者! おまえでもいい! もういい! 早くロードの願いを! 『セルドラ』たちの願いを叶えてやってくれぇえええっ――!!」

ファフナーでも自分を殺せると気づいているのだろう。

なにせ、いま99層の地面から伸びた『黒い糸』は全て、セルドラに絡まり、繋がっている。

『黒い糸』は元々、ファフナーの『呪術』『血術』による発案だ。

ファフナーでも、どれか一本に触れれば、あの凶悪な振動は流せる。

それをファフナーは、誰よりも分かっている。

いまセルドラを殺せば、僕の身体の治療が間に合うことも。

セルドラの願いとやらを叶えれば、 僕と二人で(・・・・・) カナミ君のいる100層に辿りつけることも。

誰よりも分かって、ファフナーは呟き始める。

99層の状況を理解して、とても嬉しそうな顔で、か細い声を出す。

「『魔人』グレン……。セルドラさんを信じてくれて、ありがとう。俺が保証する。セルドラさんは、誰よりも――」

遠く小さい。途中までしか聞き取れなかったが、いい 表情(かお) をしていた。

血の海から戻ったばかりのくせに、本当に眩しい笑顔なのは見えた。

だから、僕は頷き返した。

もう戦う力は残っていないが、立ち上がる。死に体を引き摺りながら、これから迎える僕とファフナーの『不幸』な結末を 嗤って(・・・) 、 後退る(・・・) 。

ファフナーも同じだった。

ぽちゃりと。

嗤って後退して、血溜まりの中に自ら落ちた。

セルドラは呆然とし続ける。

咆哮どころか、普通の声すら出せずに、絶句する。

「…………? …………っ!?」

いま地獄から戻ってきた男が、さらに地獄へ戻ったのだ。

訳が分からないだろう。

「ありがとう、ファフナー……。これだから、ヘルヴィルシャインの人たちは、みんな大好きだ。人助けしか、頭にない。僕は疑ってるんだけどね、セルドラを……。ははっ、はははは」

後退り続け、ぷつりと『糸』が千切れる感覚。

ふわりと前髪が揺れた気もした。

本当に、あと一押しのところだったが、助かった。

おかげで、『糸』の千切れる方角も完全に分かった。

流石は、ヘルヴィルシャインのご先祖様。

思えば、ノスフィー君経由で出会ったときから、ずっとあなたは眩しかった。

人殺しの罪(セルドラ) に寛容だった。この 一族殺しの罪(グレン・ウォーカー) にも。 人体実験をした怨敵(ロミス・ネイシャ) さえも事情があったと理解を示して、その『経典』で 戦争の罪悪感(エルミラード・シッダルク) をも救った。

ヘルヴィルシャインは全てを赦した。

たとえ、どんな理由があっても、苦しむ『 魔人(なかま) 』は決して見捨てない。

どのような罪でも必ず救われると、狂信者のように触れ回った。

それは地獄の底だろうとも、決して変わらない――

その自らの人生と決着をつけるべく、ファフナーは戻ったのだろう。

それに、僕も続かないと……。

「……許されたかったな。けれど、『誰にも許されはしない』――」

死に体を引き摺りながら、詠む。

『 世界(あなた) 』を 強請(ゆす) って、力を貰う。

もう僕の身体に、命の熱はない。

出血多量で氷のように冷たい。

こんなにも凍えている。だというのに、暖かい血が流れ続ける。

不思議だった。ひび割れた皮膚に血が伝う様子は、やはり徒花が咲いているようだけれども、どこか温かくて、懐かしくて――

「――『僕に引かれた 世界(あなた) は』『とうに終わっているから』――」

退けば退くほど、地面に赤い道が塗られた。

呆然としたセルドラが、さらに呆然と僕の後退と出血を見て、絶望を深めていく。

「グレン……、待て……。待て、グレン……」

その血の道は濃く、深い。

ただ、いまファフナーが沈んでいった血溜まりは、もっと濃く、深いだろう。

遠目でも感じる禍々しい怨念は、『地獄』という言葉しか浮かばない。

殺し合いの素人のように、その中にいるファフナーと清掃員ちゃんに意識が逸れる。

現在(いま) の自分の戦いに、上手く集中できない。

『糸』を切り、新たなスキルでも得たのだろうか。異様なまでに感覚が研ぎ澄まされて、 未来(さき) が身近に感じて仕方ない。そして、その中には、僕と友人たちが 七人揃って(・・・・・) 、より苦難の道を行く未来もあって――

「勝って、先に……、 行く(・・) ……」

昔から勘の鋭い僕だが、ここにきて『数値に現れない数値』が急成長していくのを感じた。

だから、向こうの血溜まりも。

ファフナーと清掃員ちゃんの決着も、きっと。

きっと僕たちと同じ筈だと信じた。