軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

176.真の闇の理を盗む戦い

『火の理を盗むもの』と『闇の理を盗むもの』の全力の激突。

その結果は壮絶だった。

残ったのは生命の枯れた赤い荒野だけ。緑の草原の代わりに炎の草原が広がっていたが、それも空から降る雨によって消火されていき、最後の彩りさえも失われていく。

まだ、ぼんやりと『世界奉還陣』の光は残っているが頼りない。転換すべき対象である生命が大地から消えたせいだろう。当初のような輝きはない。

この僅か数分の間に、戦争は終わった。

戦っていた数万の兵は消え、戦場は地図から書き直さなければならない状態となった。

その跡に残ったのは三人。

僕が炎に晒されぬよう、最後までマリアは気を使っていた。そのおかげで僕は無傷だ。MPも十分に残っている。

それに対し、マリアは大量の汗を流し、息を切らせていた。全てのMPを使いきり、両手と両膝を地面についている。

「……倒せ、ませんでしたか」

視線の先には、同じく息を切らせたパリンクロンがいた。だが、向こうは両の足で地面に立つことができていた。

怨敵を倒せなかったことをマリアは悔しがる。

マリアのステータスを見ると、MPは枯渇し最大HPまで削れていた。

まさしく、いつかの僕と同じように死力を使い尽くしたのだろう。我を忘れ、限界を超えた魔法を使った代償だ。もはや意識を保つのも辛そうに見える。

それでもマリアは、遠のく意識を繋ぎとめながら訴え続ける。

「――カナミさん。どうか、この世界に自分は必要ないなんて思わないでください。私たちはあなたを必要としています。あなたが必要なんです。それだけは覚えていてください……」

その様子はハイリを説得していたときの僕そのものだ。

だが―― 遠い(・・) 。

いまならばあのときのハイリの気持ちが少しわかる。

『カナミさん』と呼ばれても、自分だとは思えない。どこか他人事に感じる。ハイリも同じ感覚だったのだろう。

初めて迷宮でハイリと出会ったとき、彼女は笑っていた。そして、望みは『友のために命を散らせること』なんて言って、命を削ろうとしていた。その姿を見て僕は大いに苛立ったものだ。

しかし、僕も同じだったようだ。パリンクロンに出会って笑ってしまっていた。誰かのためならば命を削るのは楽――むしろ、喜んでしまっていた。

どれだけ強がろうと、やっていることは全く同じ。それをマリアの訴えから痛感した。

「パリンクロンと戦って、勝ってください……―」

そう言い残して、マリアは気を失う。

「……わかってる」

僕はマリアの訴えに、口だけ肯定した。

まさしく全身全霊――命を賭けた訴えだったが、僕の胸の中に残ったのは喪失感だけだった。

欲しかった言葉は『激励』じゃない。だから、マリアの発した熱を共有することは、最後までできなかった。

いつの間にか、仲間との間には深い溝ができていた。

マリアの情熱に反比例して、僕の心は冷たい。

あんなにも近いと思った仲間との心の距離が、いまはこんなにも遠く感じ始めている。

胸が穴だらけになった気分だ。

砦での戦いで、仲間たちの『楔』が一つずつ抜けていった。そして、この『世界奉還陣』で囲んでくれていた『楔』も全て溶け、そして、とうとう僕を繋ぎとめていた最後の『楔』さえも抜け落ちた。

これでもう、強がらないといけない相手は一人もいなくなってしまった。いまの僕の感想は、それだけだ。

マリアは図星を突いていた。僕の心を見通していた。

だが、かつて僕の言葉がハイリへ届かなかったように、マリアの言葉も僕へ届かない。

想いはわかる。論理もわかる。正しいとわかる。

けれど、それだけでは足りない――

「……あー、驚いたぜ。まさか、一戦争分の魔力差があっても押し負けるとはな」

静かになった戦場で、パリンクロンの声が響く。

マリアが気絶したのに対し、パリンクロンには余裕があった。同じ『理を盗むもの』の力を使ったとはいえ、『世界奉還陣』分の魔力差は大きかったようだ。

とはいえ、もちろん無事ではない。魔法に身体を削られ、黒い液体の体積は減っていた。液体の身体は、いまも泡を立てて沸騰し続け、白い蒸気を立ち昇らせている。人間らしさが残っていた部分の肉は、ほとんどが炭化しかけている。

そして、その負傷が修復される様子は一向にない。

それも当然だろう。

なぜなら、極大魔法と極大魔法の真っ向勝負はマリアが勝ったのだから。

いまのパリンクロンのHPは――

――ステータス

名前 パリンクロン・レガシィ HP0/512 MP392/392 クラス なし――

――0だ。

『ディメンション』で聞く限り、もうパリンクロンの心臓は完全に止まっている。

マリアの炎の魔法は、見事『闇の理を盗むもの』の魔法を打破してみせた。それは間違いない。

ただ、悔しいことに、勝負には勝てども戦いはパリンクロンの勝ちだ。

これが一対一の戦いならば、気絶したマリアにとどめを刺して終わりとなる。

HPが0になったパリンクロンは動く。

べちゃりと気持ちの悪い足音を立てながら、ゆっくりとこちらへ向かってくる。

そして、荒れ果てた大地を見回しながら、僕に話しかけてくる。

「まあいい。大陸さえ斬られなければ、まだ取り返しはつく。むしろ三万人程度の犠牲で、お嬢ちゃんをリタイアさせたのは大きいぜ。ちょっと予定は狂ったが、これで姐さんの『魔石』を回収できれば最高――なんだが、まあ、それは流石にまだ無理か」

倒れたマリアへ近づこうとするパリンクロンの行く手を僕は阻む。

「わかってる、マリア……。戦う……」

マリアの願い通り、僕はパリンクロンと戦い続けるつもりだ。

ただ、勝利だけは約束できそうにない。

強がる相手がいなくなったいまだからこそ、すんなりと弱音が心の中で零れてしまう。

勝てる気がしない。いや、正確には勝たないといけない理由が僕にない。

できれば『コネクション』でマリアだけは安全なところへ移動させたかったが、『世界奉還陣』の魔力が荒れ狂う中では『コネクション』を安定させるのは難しそうだ。

なにより、それは目の前の敵が許してくれそうにない。

「さあ、少年。再開だ。……とはいえ、もう詰みに近いんだがな」

立ち塞がる僕を見て、パリンクロンは戦闘態勢を取った。

そして、黒い液体の腕を自らの胸へとえぐりこませる。それはもう自傷行為を超えて、自殺行為だ。

心臓を握りつぶしながら、パリンクロンは語りかけてくる。

「もう助けてくれる仲間はいないぜ? 強がる相手もいなければ、見栄を張る理由もない。正真正銘、少年だけだ。どこまで戦れるかな?」

パリンクロンはマリア以上に僕のことをわかっていた。

もし、マリアが正確に僕の心情を理解していたならば、僕を絶対に一人にはしなかっただろう。

この二人きりの状況に、パリンクロンは勝利を確信していた。

パリンクロンはマリアと違って、僕が一人で探索者をやっていた頃を知っている。その差だ。

心臓を潰したパリンクロンは、 半分死んでいる(ハーフ) どころではなくなる。

『 完全に死体(モンスター) 』となった。

「ここからが本領だぜ。『闇の理を盗むもの』のな」

その姿が、かつてのティーダに近づいていく。

身体のほとんどが黒い液体と入れ替わっていき、僅かに残っていた人間味が失われていく。あとは頭部が黒の能面になれば二十層の 守護者(ガーディアン) の再来だ。

もう、その姿は『 完死体(モンスター) 』としか言えなかった。

――ステ■スター

na■nk パリ■の理を■ガシィ HP■/5■2 MP-‐―/39‐ クlass 守護者(ガーディアン) ――

『注視』していたステータスがぼやける。『表示』で処理しきれなくなり、文字化けに近い現象が起きる。

そして、徐々に書き換わっていき、

――モンスター

二十守護者(トゥエンティガーディアン) 闇の理を盗むもの

ランク 二十守護者(トゥエンティガーディアン) ――

『表示』はパリンクロンをモンスターと認めた。

こうして僕はモンスター『闇の理を盗むもの』と向き合う。

仲間を守るため、僕は剣をパリンクロンへ向けた。

ただ、剣を握る腕は弱々しく震えている。

「さあ、二人で遊ぼうぜっ、少年!」

パリンクロンの禍々しい黒き肢体が変形していく。両脚が獣のように湾曲し、両腕は野太刀のように研ぎ澄まされていく。

そして、身体をかがめ、獣の脚をしならせ、腿を膨らませる。ティーダとの戦いで見たことのある予備動作だった。

だから、次の一手の予想はできた。

獣のように跳ねるパリンクロン。

人の脚の構造では再現できない急加速だ。それは身体を変形することができるからこその突進だった。そして、襲い掛かってくる凶刃が二つ。

パリンクロンは凶器と化した両腕を鋏のように交差させ、僕の首目掛けて勢いよく閉じた。

僕は身体をそらすことで、それをかわしてみせる。

そして、パリンクロンの胴体を斬り離すつもりで、反撃の一閃を放った。

その一閃は確かにパリンクロンの胴体を捉える。しかし、返ってくる感触がない。

パリンクロンの胴体は斬り離された――が、すぐに切断面は接着する。まるで滝の水を横から斬っているかのような光景だった。

やはり、『闇の理を盗むもの』に物理攻撃は通じない。それを再確認する。

パリンクロンは突進の慣性に振り回され、横を通り過ぎていく。そして、土埃をあげながら急停止を行い、急加速して息をつく間もなく襲ってくる。

僕はもう一度カウンターを入れようとして、先と様子が違うことに気づく。

腕の刃が片方だけ解かれている。速度こそ獣だが、その構えは騎士そのものだった。

獣のような一撃から洗練された一撃への急転換に驚き、反撃を逃す。

もちろん、まだ敵の攻撃は止まらない。

折り返しを続け、四方八方から攻撃を繰り返してくる。それを僕は防ぎ続ける。

厄介なのは防御を捨てた捨て身であること。そして、ティーダとは違い『技』と『術』が織り込まれていること。その二つのせいで、楽に反撃を叩き込むことができない。

とはいえ、この程度ではまだ触れることはないだろう。

僕は防御を続けつつ、『闇の理を盗むもの』に有効である氷結魔法を構築しようとする。

まずはマリアを『コネクション』へ入れないといけない。そのためには、パリンクロンを凍らせて足止めするのが一番だ。

しかし、その考えを読まれていたかのように、声が割り込んでくる。

「――なあ、少年。聞いてもいいか?」

高速の剣戟の中、やけにゆったりとした声が響く。

鼓膜にまとわりついてくる嫌な声だ。

「こ、答えるわけないだろ……!」

僕は頭ごなしに拒否する。

「でも俺は俺のしたいことを教えたぜ? なら少年も教えてくれないとフェアじゃないだろ? 教えてくれよ。……なあ、少年こそ、何がしたいんだ?」

拒否したにもかかわらず、パリンクロンは聞いてくる。

なら、最初から許可なんて聞くなと思った。

腹を立てて、僕は無言で剣を振るう。だが、それでもパリンクロンは口をつぐまない。いまも致死性のある剣が飛び交っている最中だというのに、返答しない僕をパリンクロンは煽る。

「ん? 何も答えないってことは、何の目的もなく戦っているのか? 何の意味もなく?」

本来ならば聞き捨てるべき妄言だ。

だが、いまのぼくには聞き捨てることができなかった。

まだ戦意を失うわけにはいかない。マリアを安全圏へと送るまでは、絶対に。

確認するように、僕は目的を思い出す。

強がりで作った張りぼての戦意――建前を口にする。

「僕は陽滝を助ける! 仲間を助ける! それだけだ!」

「 それだ(・・・) 」

獣が噛み付くように、僕の返した言葉をパリンクロンは拾う。

青い剣と黒い刃が火花を散らす中、言葉も交差する。

「それは本当に少年のしたいことか? もうわかってるだろ。それは千年前の始祖であるカナミってやつの願いであって、少年のじゃない。いわば偽物だ。願いを間違えてるんじゃないのか。そういうのは絶対に許せないんじゃないのか」

嬉しそうにパリンクロンは語りかけてくる。

ずきずきと心が痛む。

ああ、確かにこれはもう詰んでいるのかもしれない。

動揺する僕をパリンクロンは追撃する。

「なあ、どんな気持ちだった!? 願いを間違えはしないって、あれだけ言っておきながら! 取り戻した願いも誓いもっ、自分のものじゃなかった感想は!!」

もはや魔法構築をしている場合じゃなかった。

言い返さないと 呑まれる(・・・・) 。

そう思った僕は叫ぶ。

ハイリに言ったものと同じ建前を。

「違う……、いまも間違えていない……! 確かに他人の願いを、自分のものと勘違いしていたのかもしれない! けど、いまはその願いに納得してる! 『陽滝』という存在を助けたいって、心から思う! この願いは、もう本物に変わってるんだ!」

「そうか!? そう思わないとやってられないからっ、そう思いこんでるだけにしか見えないけどな!!」

同じ言葉を繰り返したが、すかさずパリンクロンは言い返してくる。

ハイリと違ってパリンクロンは優しくない。突かれたくない急所を、容赦なく突いてくる。

このまま言い負ければ、マリアを助けることすらできなくなるだろう。

だから、震えながらでも言い返す。

「お、思い込みじゃない……! この『誰か』を助けたいと思う心だけは、間違いなく『僕』のもののはずだ! 僕の知っている『陽滝』はとても可哀想だった! 助けたいと思った! そこに嘘はない!」

「へー、そうかい。そんな自分のものか定かでない想いを信じて、陽滝っているかどうかもわからない子を助けるってわけか?」

僕の張りぼての守りが簡単に切り裂かれていくのを感じた。

その攻撃は的確すぎた。

「しかし、少年も見ただろ? 千年前に相川陽滝は死んでいる。そう、死んでいるんだ。正直、どうあがいても助けようがないんだぜ?」

「あれを見せたのはおまえだろうが……っ。あんな記憶を全て信用するほど、僕は馬鹿じゃない!」

「まあ、そうだよな。そうなるよな。その通りだ。記憶なんて、あやふやで信用ならないよな? ならよ、こうは思わないか? そもそも、本当にその陽滝という少女は実在していたのか? ってな」

「ひ、陽滝が実在するか、どうか、だって……?」

ぐらりと精神が揺れる。答える声が震える。

パリンクロンは僕の存在価値を根こそぎ刈り取ろうとしていた。

未だなお戦意を残している僕を倒すため、言い訳のしようも助けようもない『無価値』へと叩き落そうとしている。

これだけ磐石の戦場を整えたというのに、慢心することなく徹底して精神攻撃を繰り返す。

パリンクロンが本気で遊ぼうとしているのがわかる。けれど、それは僕にとって 過剰攻撃(オーバーキル) すぎた。

魔法は精神と直結している。もはや、緻密な魔法を構築する余裕は全くない。次元魔法の基礎、『ディメンション』すら危うい。

「『相川陽滝』。正直、俺は会った事がないから信じられないなぁ。聞く限り、少年や『始祖カナミ』の妄想――空想上の妹な気がしてならないぜ。俺にも家族がいるが、妹とか姉とか、もっとわずらわしいものだったぜ? 正直、殺意を抱くこともあるね。愛に近い感情を抱き合っている兄妹がいるなんて、ちょっと頭おかしい話じゃねえか?」

「そ、それはおまえんところの家族の仲が悪いだけだろ! 仲いいところはいいんだよ、きっと! 僕は信じてるっ、陽滝って女の子の存在を!」

「スキルなんてもので頭を弄られ、俺に記憶を奪われ、知りもしない千年前の自分がいた。いまも、どんどん知らない記憶が流入している。いやあ、酷い目に遭ってるなあ、少年。――それでもかい? それでもまだ信じるのかい? 記憶なんて脆いものだ。簡単に変わる。それでも、『記憶にいるだけの妹』が本当にいるって主張するのか? ちょっと厳しい話じゃないか?」

心を折るだけに飽き足らず、丹念にすり潰そうとしている。

その徹底した精神攻撃に、心臓が不安になる速さで跳ねだす。

いつものドクンドクンという音ではなく、ドッドッドッと震える。胸の筋肉を掴まれたかのような締め付けに襲われ、引き千切られるかのような痛みがじんわりと広がっていく。身体が熱い。いまにも心臓が爆発しそうで怖くてたまらない。

もう自慢の思考力なんて十分の一も残ってない。だが、何も考えられないというのに、時間はゆっくりと進む。無駄に高い『化け物』じみたステータスのせいだろう。

戦いの余裕はある。

ただ、心の余裕はない。

混濁とした思考の中、パリンクロンの声ばかり反響する。

――ああ、確かに。

もしかしたら、相川陽滝なんて元からいないのかもしれない。

結局のところ、僕が『 渦波(ぼく) 』でないとわかったときから、相川兄妹の存在はあやふやなんだ。わかってる。そんなこと。

だから、これ以上はいい。聞きたくない。再確認なんていらない。

じゃないと、また『並列思考』が勝手に動き出してしまうだろ。

考えないようにすればするほど、考えてしまうんだ。

一度動き出せば、止められなくなる。

もう苦しいのは嫌だ――

「けど、それでもっ!! 思い出がある! 元の世界に生きる兄妹としての思い出が、頭の中に! それを僕は思い出せる!! 確かに与えられた記憶かもしれないけどっ、それを僕は信じてる! あの記憶だけがっ、元の世界で暮らした記憶だけがっ、僕に優しくしてくれるんだ!!」

「自分の記憶じゃないくせに、よく言うなあ! しかし、 それもだ(・・・・) ! その少年の記憶の中にある思い出! そして『 元の世界(・・・・) 』っ、それも大概おかしい話だろ! そんな『世界』、本当にあるのか!? おとぎ話すぎるだろ、異世界なんて! いまどき、演劇でもそんな単語出てこねえぜ!? そのありえねえ異世界ってやつの保障は誰がしてくれる!? そこに居たこともない少年が保障するつもりか!?」

剣戟の間隙――その刹那の間に僕は思考してしまう。

あ、ああ……。

ないのかもしれない……。異世界なんて。

だって、僕を含め――この世界の誰も、『元の世界』へ行ったことなんてない。子供みたいに言い張っているのは僕だけだ。

だから、本当は『この世界』しかなくて、『元の世界』なんて夢みたいな異世界はない場合もある。

言われてみればそうなんだ。

魔法の代わりに科学の発達した世界? この世界の常識から考えれば有り得ない存在だ。その世界の存在を証明することなんて、いまの僕にはできない。『 魔石人間(ジュエルクルス) 』の僕は、その世界で生まれていない。暮らしていた気がしただけ。

元の世界の話を船で聞いていた仲間たちも、心の中では笑っていたのかもしれない。

あんな優しくて都合のいい夢物語のような世界、妄想と言われても仕方ない。

次第に搾り出す言葉も頼りなくなってくる。

「あ、ああっ! ああ、わかってる……。わかってるさ! 保障なんてない! ないから、それも行って確かめようとしているんだろ! 僕は全てを自分の目で確かめるって決めたんだ!」

そう。確かめる為に。

だから、僕は迷宮最深部を目指し続けていた。

『ある』にせよ、『ない』にせよ。どちらにせよ、目指すしかないってわかっていたから。

それを初めて『並列思考』で思い立ったときはショックだった……。胃に穴が空きそうだった。あのときは、この『異世界』は、『元の世界』の遠い未来の世界なんじゃないかって疑ったりもしたっけ。ステータスが上がって、無駄に思考能力があるものだから、可能性という可能性はしらみつぶしに考えたものだ。その中には、妹がいないとか、僕がいないとか、当然のようにあった。

だから、考えないようにしてきた……。

考えても仕方のないことだと言い聞かせてきた、のに……。

「自分の目で確かめる、か。へえ、そりゃすごいことだ。なら、異世界とやらが存在して、陽滝とやらも存在するとしてだ。それで首尾よく元の世界にも戻れたとして――その元の世界に陽滝がいなかったらどうする? 助けるべき相手がどこにもいないと確かめたら、少年はどうする?」

そんなに追い詰めなくても、言われなくても、わかってるさ。

全部、強がりは強がり。本当はそう思っちゃいない。

本当は元の世界に陽滝がいないってくらい、もうわかってる。使命は失われ、僕という『 魔石人間(ジュエルクルス) 』が壊れてしまっていることもわかってる。

限界なんて、とうの昔に超えてしまっていたんだ。

当たり前だ。

理由はたくさんある。

――『並列思考』は常時発動している。

そのおかげで、とても世界がゆっくりだ。

だから思い出すのは簡単。

結局、最初から詰んでいたのだ。

『魔力』が『毒』だなんて気づきようがないのだから、使徒シスと記憶の復活は止めようがなかった。それを注意してくれる人なんて一人もいない。誰も助けてくれない。『 魔力(どく) 』が溜まれば『化け物』になっていくなんて、気づいた頃には手遅れだ。だと言うのに『並列思考』が、嫌な未来を勝手に予測して、僕を追い詰めてくる。他にもたくさん辛いことはあった。胃に穴が空きそうな毎日だった。スキル『???』のせいで人間関係は滅茶苦茶になった。『始祖カナミ』の『記憶』に『人格』を削られるのは不安でしょうがなかった。ハイリと出会ったあたりから崩壊の予兆は出ていて、アイドの魔法を食らったときには決定的となった。もうあの時点で僕が壊れていたのは間違いない。ハイリの予言どおり、崩壊も崩壊だ。ついでにディアとラスティアラも崩壊した。たぶん、あの二人も色々と自分に魔法をかけてたんだろうな。それがアイドの状態異常回復の魔法で解けたんだ。ディアはシスを抑える魔法が解けて、ラスティアラは自分の恋心を抑える魔法が解けた。もしかしたら、ラスティアラのほうは他の魔法も解けてそうだ。余裕がなかったから聞かなかったけど、たぶん聖人ティアラ関連だと思う。こうして大切な仲間が『使徒』なんてものになってしまい、泣き言をこぼす暇なんてなくなってしまったわけだ。なのにハイリは『僕』が『相川渦波』じゃないなんて得意げに言ってきやがった。そんなことわかってるさ。予測済みだったから、上手く演技はできていたはずだ。何とか、ハイリ――じゃなくてハインさんの前では虚勢を張り続けることには成功した。けど、その強がりの先に待っていたのはパリンクロンの『世界奉還陣』。あれは千年前の『何か』と直結してるんだろう。そこで命よりも大切な陽滝が死ぬところを見せられた。さらに僕が『相川渦波』でない根拠も見せられた。パリンクロンが嘘の記憶を見せている可能性はあった――けど、あの記憶は間違いなく本物だ。仕組みはわかってる。『世界奉還陣』で過去の記憶を『 想起収束(ドロップ) 』させたのだから、手の加えようがない真実だ。つまり、僕の何よりも大切な前提、『相川陽滝』が死んでいるのは間違いないということだった。そして、僕は生きる土台を失う。ギリギリのところで支えてくれた全てを失った。支えも自分さえも失って、もう何も残っていない。死にたくなるのも当然だ。当たり前だ。

ああ、そうだ。

正気でいられるか。

真面目にやっていられるか。

「陽滝がどこにもいないなら……、どうするか、だって……?」

「――ああ、そうだ、少年! どこにもいなかったら! おまえの生きる意味を証明してくれるものが、ありとあらゆる世界を探し続けて、それでもどこにもなかったとしたらどうする!? 何も得られず、何も残らず、何の意味もなく、自分の名前すらわからず終わる――なんて結末もありうるぜ!?」

ああ、うるさい。

もう何も聞きたくない。

どちらにせよ、なんにせよ、何も変わらないんだ。

だから黙れよ――! パリンクロンも、 僕も(・・) 、両方とも黙れ――!

「――うるっさいんだよぉ!! そんなことは覚悟してる! ここにもっ、千年前にもっ、元の世界にもっ、どこにも陽滝がいなかったとしても、僕は探し続ける―― しかない(・・・・) ! どちらにせよ(・・・・・・) 、やることは変わらない! そう覚悟するしかないだろっ、くそが!!」

「無意味だとわかっていて探すのか!? そう覚悟するしかないなんて理由で覚悟するのか!? そういうのを自暴自棄って言うんだぜ、少年!」

自暴自棄の何が悪い……!

そんなこと言われなくとも百も承知だ!

もう何が何だかわからないのに! 何が正しいのかも、何をすべきかもわからないのに! 自分が誰なのかもわからないのに! 自棄にならないほうがおかしいだろ!!

「 ああ(・・) !! だから(・・・) っ、 いま(・・) っ、 おまえと戦(・・・・・) ってんだろ(・・・・・) !!」

もう言い返すことはできなかった。

とうとうパリンクロンの言い分を認め、叫びながら、僕は全力で剣を振るった。

その八つ当たりにも似た一閃を、パリンクロンは両の刃で受け止める。

そして、その衝撃のまま、パリンクロンは大きく後退する。

大きく距離が空いたところで、僕は肩で息をする。

息苦しい。

体力は有り余っているというのに、息が切れる。肺の中に酸素が溜まってくれない。どれだけ深呼吸を繰り返せども、呼吸は整わない。

僕は剣を持っていないほうの手で、胸の肉を握り締めた。

爪で血がにじむほど強く握らなければ、不安でしょうがなかった。

そんな僕の顔をパリンクロンは指差す。

「少年、泣いてるぜ……?」

ふと目の下を拭うと、大粒の涙がつたっていた。

降りしきる雨のせいで気づかなかった。

ぼろぼろと零れる涙を見つけて、僕は震えながら乱暴に言葉を吐く。

「だったら、何だよ……!」

「……いや、何でもない。もう終わりなだけだ。……ああ、もう終いにしよう――」

パリンクロンの呟く声が、妙に遠く感じた。

『ディメンション』を使っていると言うのに、聞き取りづらい。

こぼれる涙と共に、身体の力が抜けていく。

自分が泣いていると知り、張り詰めていた緊張が解けてしまった。

頭がぼうっとする。

パリンクロンとの問答のせいで、張りぼてが崩れてしまった。

仲間の誰も見てくれないから、強がって涙をこらえることもできない。見栄を張って戦うこともできない。必死になっても意味がないから、動けない……。

ああ、僕は何をするんだっけ……。

目的すらも曖昧になってしまう。早く思い出さないと……。

まず……、

――使ってはいけないスキルは『???』と『並列思考』。

そうだ。

『並列思考』は抑えないといけないんだった。

ちょっと暴走しすぎた。もっと抑えないとまずい……。

こんなスキルを使っていたら、人間でなくなってしまう……。

いや、もう遅いか……。

えっと、その次は……、

――目的の一つ目、パリンクロンを倒すこと。

うん。いま戦ってる……。

けど、戦う理由はわかっていても、倒さないといけない理由はもう思い出せない……。

僕は何をされて、あんなに怒っていたんだっけ。

色々ありすぎて、もう些細なことにしか感じない……。

――目的の二つ目、ディアを助けること。

言い換えれば仲間を助けるということだ。いまやっている……。

マリアの前に立って、命を賭けて戦ってる。早く彼女を『コネクション』に入れないと……。

助けられるものなら助けたい。

けど本当は、助けて欲しいのは僕のほうだったんだ……。

――目的の三つ目、妹の相川陽滝を助けること。

妹……、陽滝……。

ああ、やっぱり、これが一番だ。

いろいろあったけれど、やはりこれが一番の願いだ。間違えようがない。

いや、正確には間違っているとわかっていても、間違うしかない願いだ。

ああ、会いたい。

陽滝に会いたい。

僕とは関係ない他人だろうが、植え付けられた感情だろうが、関係なんてない。

彼女に会えれば『終わり』。『 終わり(ゴール) 』なんだ。この苦しみから解放される。

元の世界に戻って陽滝と一緒に、平和に暮らしたい。日常に戻りたい。こんなファンタジーな異世界じゃなくて、現代のぬるま湯で生きたい。

それだけのために生きてきて、それだけを希望に戦ってきたんだ。

その報酬が――いま欲しい。

けれど、わかってる。

その報酬はどれだけ頑張ろうと手に入らないんだ。永遠に。

僕は『相川渦波』ではないと言われた。助けても、兄弟として暮らすことなんてできないと言われた。

それには何とか反論してみせた。

すると、今度は『相川陽滝』が生きていないと言われた。助けるべき相手は、この世にいないと言われた。

それも耐えようとしたけど……、耐えられるわけなんてなかった。

そもそも、兄妹でないというのに耐えたのも強がりだったのだ。それに耐えるなんて、土台無理な話だ。

『相川陽滝』の存在。それを覆されたら、もう無理だ……。

何をしても意味がなくなってしまう……。

そして、僕は誰でもない。

自分すらわからないから、何をしても何の感慨も浮かばない。

酷い話だ。

ゴールもなければ、意味もない戦いを、永遠に進むしか道がないなんて……。

戦って戦って戦った先に待っているのは『何もない』だなんて酷すぎる……。

そんなの戦って勝つことすら苦痛じゃないか……。

そんなの嫌だ……。

嫌だ嫌だ嫌だ……。

もう強がるなんて無理だ……。

やめたい(・・・・) 。

そう。

僕は負けて終わりたい。

何もかも無意味だから、生きることをやめたい。そして、休みたい。けれど、スキル『???』のせいで、その道は閉ざされている。

マリアの不安通りだ。誰も助けてくれないから、パリンクロンに助けてもらおうと思っていた。勝利に意味を感じないから手を抜いていた。戦いに負けてもいいと考えていた。

強がる相手がいなくなったいまだからこそ、はっきりとわかる。

元々、僕はこういう性格だ。見栄を張る相手がいなければ、すぐにこうなる。迷宮探索を始めた頃、ヴァルトでディアと出会う前は、毎晩心の中で弱音を吐いたものだ。寝る前に延々と考え事をしていたのを、いまも覚えている。

欲しいのは『がんばれ』なんて激励じゃない。『もういい』という安心が欲しかった。

そして、それを用意できるのは、おそらくこの世に一人だけ。

仲間たちではなく、敵であるパリンクロンだけだった。

その実績が、やつにだけある。

思い返せば、この異世界に来てから僕に『幸せ』『安らぎ』『救い』を与えてくれたのはパリンクロンだけだ。仲間の誰も与えてくれなかったものを、やつは僕に与えてくれていた。偽物とはいえ、確かに与えてくれていた。

だから、ここまでやってきてしまった。

パリンクロンと戦って負けさえすれば、『 魔石人間(ジュエルクルス) 』の僕でも『幸せ』になれるのではないか。

そんな希望を抱え、僕はこの『中心』まできた。

助けて欲しい。

苦しい。

苦しくてたまらない。だから、終わりという形でもいいから、助けて欲しい。

誰でもいい。敵でも味方でもいい。

この何の意味もない人生から救い上げてくれれば、何でもいい。

もう苦しいのは嫌なんだ。だから、助けて欲しい。

誰か、早く僕を助けて。

助けて。

助けて助けて助けて……。

――助けて……」

「―― ああ(・・) 、 俺が助けてやる(・・・・・・・) 」

すぐ近くから声が届く。

まるで闇に差し込む光のような、とても聞き取りやすい声だった。

たった六文字の言葉。『たすけてやる』と聞いて、僕の身体は操り糸の切れた人形のように力を失った。

そして、膝を突き、両手で目を覆い隠して、子供のように泣いてしまう。

「うぅ、うっ、うぅう……、うぅああぁあ……」

「だから、もう強がらなくていい」

パリンクロンの言葉は温かく、心地よすぎた。

戦わないといけないとわかってはいても抗えない。

パリンクロンは囁く。

それは年の離れた兄が弟をあやすのに似ていた。

「少年は周りのやつらが思っているほど強くなんかない。ステータスの強さなんて偽物だ。成長なんて勘違いだ。人は変われやしない。その身の魂に許された範囲でしか生きることができないんだ。それを俺だけが、わかってやれる。その少年の苦しみを、俺だけが――」

ぽつぽつと僕を慰め続け、最後にパリンクロンは言い締める。

「――よくここまでがんばったな、少年。もういいぜ。おまえの負けだ。そして、終わりだ」

それは敵であるパリンクロンからしか聞けない言葉だった。

僕は終わりだと告げられ、僕は安心と共に空虚さに襲われる。

とうとう負けた。終わった。

これから僕はどうなるのだろうと、少しだけ不安に思った。

けれど、それすらもどうでもいい。もう何も考えたくなかった。

ハッピーエンドなんて報酬は、とうに諦めてる。

バッドだろうがデッドだろうが、終わってくれさえすれば文句はない。

僕は『スキル』や『仲間』のせいで自殺ができない。殺し合いという遊びの末、パリンクロンが僕を殺すのならば、それでもいい。死の救いでも、いまの僕には十分だ。もちろん、こんな状態でも僕を殺すのは容易じゃないだろう。もし、それが叶わないのならば、もう一度記憶を消して欲しい。何も考えられなくなれるのなら、洗脳でも何でもいい。何でもいい――!

何でもいいから、このまま、とどめを刺して欲しい。

パリンクロン。おまえだけがそれをできる。

お願いだ。

あの日のように、また僕に勝ってくれと、そう願って――

「――だが少年は十分に戦った。全部とは言わないが、それなりに俺たちの望みを叶えてくれた。だから、俺も少年にお返ししないとな……。そうだな……。――『 相川陽滝(・・・・) 』 に会わせてやろうか(・・・・・・・・・・) ?」

「――え?」

唐突過ぎた。『並列思考』を使っていても予想外すぎた。

だから、その言葉の意味を理解できず、口を開けて呆ける。

「ははっ。変な顔するなよ。いまから、相川陽滝の蘇生を始めるって言ってるんだぜ?」

パリンクロンは僕の動揺を察して言い直した。

それは僕の異世界での戦いの全てを終わらせるということに他ならない。

死の救いどころか、僕の願いが叶うという救い――

最上のハッピーエンドの提示だった。