軽量なろうリーダー

左腕左脚の骨折と全身打撲と引き換えに自由を手に入れた令嬢とその他

作者: 月森香苗

本文

全身の痛みに呻きながら目覚めた彼女は、視界に入った天井に困惑していた。

人生で使うことは無いと思っていた「知らない天井だ……」を言葉にする日が来るなど考えてもいなかった。

痛くないところを探すことすら難しい程、全身の痛みは至る所にあり、涙を目尻に浮かべながら己の身に起こったことを思い出した。

(そうよ……わたくしは、スカーレット・スターブルーム……王子の婚約者……そして、前世の記憶が、出てきた……死にかけたからかしら)

全身の痛みの原因を思い返し、スカーレットは痛む体を抑えながら起き上がろうとして失敗した。だがそれのお陰で侍女がスカーレットの目覚めに気付いた。

「お嬢様! お身体を動かさないでください! 左腕と左足は骨が折れておりますし、全身は強打して痛みが酷いはずです!」

「そう、ね」

痛みにより生理的に浮かんできた涙。侍女はそっとハンカチで涙を拭ってくれる。

いつの間にか額から落ちていた熱冷ましの為の濡れた布を水で濡らし、汗をかくスカーレットの肌を拭ってくれた。

「中々お目覚めにならず、痛みを抑える薬を飲むことも出来ませんでした。すぐに医師が参ります」

侍女はどうやら他の侍女に医師を呼ぶよう伝えてくれていたようで、スカーレットは痛みを必死で抑えながら待っていた。

慌ただしい足音と共に、医師と両親が部屋に来たが、スカーレットは声を掛ける気遣いも出来ないほど痛みに苛まれていた。

「スカーレット様。お辛いでしょうが、こちらをお飲みください」

「ぅ……あぁっ! 痛いっ!」

体を起こそうとすると激痛が走り、医師はスプーンで液状の薬をせっせと口に運んでくれた。時折こぼしたが、何とか飲みきる頃にはどちらも疲労していた。

「三十分ほどすれば痛みが引くはずです。ですがスカーレット様の怪我の状態は深刻です。決して私の目の無いところで身体を動かさないでください」

「ええ。オリバー医師、ありがとう」

「当面はお屋敷に常駐します。薬の服用のタイミングもありますので」

「頼む」

医師と入れ替わりにベッドのそばに来た両親の顔を見上げる。

父は怒りを、母は悲しみを顔に浮かべていた。

「第二王子を私は許してはおけない」

「わたくしもです……スカーレットをこんな目に遭わせておきながら見舞いのひとつもない! それどころか、加害者を庇い立てですって!? 我が家をどこまでも愚弄していますわ!」

悲しみから一転、怒りに顔を変えた母がスカーレットの頬の汗を拭う。

二人の怒りは尤もだった。

三十分して痛み止めが効き始めたと同時に眠気が襲って来て、スカーレットは目を閉じた。

スカーレット・スターブルームは王国の第二王子の婚約者であった。

第一王子は他国の王女と婚姻を果たしており、第二王子には国内貴族との繋がりが求められていた。

年齢に合う王家が求める条件に適したのがスカーレットしかいなかった為、自動的に婚約者になった。婿入りが出来、侯爵家で、王家派は中々難しいだろう。

しかし、第二王子はそれをとにかく嫌がった。

建国王の熱烈な恋物語に憧れていた第二王子アルドリックは親が決めた婚約者というものが嫌いで仕方がなかったのだろう。

王妃様に招かれての小規模なお茶会、という名目での顔合わせの場に来た彼は、最初から「嫌です」というのがありありと態度に出ていた。

十二歳で表情を取り繕うことも出来ないアルドリックに対しては嫌な予感しかなかった。

それは現実となり、アルドリックはとにかくスカーレットに罵声を浴びせ続けた。当然ながら、侍女や侍従から報告が上がり、アルドリックは王妃に強く叱られた。

そうすると次は無視や陰口。

呆れたスカーレットは、最低限の対応で良いと判断した。あちらが歩み寄らないのに、何故こちらだけが努力せねばならないのか。

大人、特に教師は「殿下との交流はスカーレット様から歩み寄らなければなりません」と言ってきたので。

「先生。人間同士の会話は相互努力に基づきますの。わたくしが話しかけても返事をしないのは、動物に話しかけるのと何が違いましょう?」

動物の方が断然賢い。言葉を発しなくても反応はあるのだから。

根本として、片方にだけ負荷をかけるのは間違っているのだ。

第一、アルドリックは婿入りの立場で何故あんなにも尊大な態度が出来るのか、スカーレットには理解出来なかった。

そうして細々とした縁が繋がったまま十六歳になり、同年代の子女との交流を目的とした王立学園への入学となった。

在学年数は二年。卒業と同時に婚姻の予定なのだが、アルドリックは変わらずスカーレットを無視するか、親しくなった令息達と共にスカーレットを悪し様に罵っていたのだ。

そろそろ婚約の解消を申し出ても許されるのでは? と思っていた頃、アルドリックは学園内で男爵家の娘と親しくなった。

言葉や態度では散々だったものの、特筆して瑕疵の無かったアルドリックとの婚約解消は難しいと思っていたのだが、ここに来て有責事由が出来たことにスカーレットは喜んだ。

どうぞ仲を深めて下さい、とまったく干渉も関与もしていなかったスカーレットは、次第に学園内でその男爵家の娘に対して嫌がらせをしているという噂が広まっていることに気付いた。

スターブルーム家をよく知る友人などは「何故……? 嫌がらせする意味は?」と不思議がっていたし、スカーレットも分からなかった。

寧ろ、仲を深めてくれれば婚約の解消に至る事が出来る、と大喜びなのに。

そしてその日が来た。

学舎の二階から階下に降りる為、階段の最上段にいたスカーレットに、見知らぬ娘が近付いてきたのだ。

友人達は少し離れた場所にいて、こちらを見て驚いた顔をしていたように思う。そりゃあいきなり侯爵家の令嬢に彼女たちも認知していない女子生徒が近付いているのだから。

慌てて彼女たちが近付こうとする前に。

その娘は「私に対してこれ以上嫌がらせはやめてください!」と言いながら、さも足が縺れたようにしてスカーレットの方に倒れ込みながら、間違いなく体を押した。

体がふわりと浮かんだ後、落下したスカーレットはそのまま最上段から踊り場まで転がり落ちるしかなく、全体重を掛けて打ち付けた左側から嫌な音だってしたし、視界も定まらなかった。

友人たちの叫び声、男の喚く声、その他諸々。

そんなのを遠くに感じながらスカーレットの意識は一旦そこで落ちた。

ここからは聞いた話である。

アルドリックはその男爵家の娘を庇ったらしいが、あまりにも目撃者が多かった。

そもそも、スカーレットが嫌がらせをしたなど、何の証拠があるのか、と強く追及したのは司法官の娘で、分が悪いと判断したアルドリックは男爵家の娘を連れて逃げたそうだ。

スカーレットは直ぐ様、学園内の医療室に運ばれたが、あまりにも酷い状態に、王宮に連絡が行き、医師が派遣された。

当然ながら、スカーレットの両親は激怒した。

母がスカーレットの傍で起きるのを待ちわびている間、父は王城に突撃し、国王に責任の所在を問うた。

医師の助手が同行していて、スカーレットの体の状態を聞いた国王は、アルドリックに確認すると言ってからまだ音沙汰がないそうだ。

薬の影響で夢現のスカーレットは、「婚約を、解消したい……もう嫌だ……」と繰り返していたらしい。

前世の記憶は階段から落ちた直後くらいに現れていたけれど、まともに意識したのは激痛を伴う目覚めの時だった。

今は左の手足を固定し、全身には薬草を貼り付け、只管寝るだけの日々。

本すら持てないスカーレットの為に、本読みが上手な侍女が物語を読んでくれることだけが楽しみだった。

(前世ならば、もっと医療技術が発展していたけれど、仕方ないわ)

薬湯はお腹が膨らむため、食事量が減ってしまっていた。

体を治すためには体力やエネルギーが必要だと今のスカーレットには理解出来るけれど、胃の大きさはどうにも出来ない。

少しでも早く治りますように、と願っていた頃。

男爵家が潰れ、娘は犯罪奴隷に落とされた。

そしてアルドリックは平民の身分となった後に厳しい環境にある、罪を犯し外に出せない元王族が幽閉される際に使われる北部の離宮に送られたそうだ。

平民の方がまともな環境らしい。石造りの部屋には暖炉などなく、冬の寒さで生き延びられる可能性はかなり低いそうだ。

また、アルドリックに追従してスカーレットの悪評を流していた令息達もことごとく処分された。

アルドリックの罪は、スカーレットを蔑ろにした上で分不相応な相手を恋人にした挙句、調子に乗らせて突き落とすにまで至らせたこと。その後、スカーレットの救助にあたることもなく逃げたことだ。

特に後者は罪が重い。何故ならば、スカーレットはスターブルーム侯爵家唯一の子供で、既に後継者のお披露目も済ませていた。

次期侯爵として社交の場に顔を出しており、国にとっても侯爵家が有する穀倉地帯と軍事力は侮ってはいけない存在なのだ。

王子よりも遥かにスカーレットの方が価値があった。

「当然、婚約はあちらの有責で破棄……としたいところだが、お前に瑕疵があったなど宣う輩がいないでもない。解消とする代わりに多額の慰謝料で手を打った」

「はい。それで構いません」

父からアルドリックの話を聞いたのだが、どうやら彼はこの婚約のことを全く理解していなかったらしい。王族がそれでいいのかと思ったが、原因は教育係にあった。

スターブルーム侯爵家と敵対している家の派閥の者、つまり反王家派が末端も末端の教師を送り込んで幼い頃に洗脳したらしい。

アルドリックはある意味で被害者かもしれない。

しかしだ。

「わたくしには関係ございませんわね?」

たとえ洗脳されたとしても、最低限の態度は取ることが出来る。蛇蝎のごとく嫌いな相手に対しても笑顔を浮かべて友好的に見せかけることは、貴族なら当たり前のこと。

婿入りの立場を理解して無いのも問題でしかない。

それらを教えて確認するのは王家の、アルドリックの家族の仕事であり、スカーレットやスターブルーム家が手を出す領分ではない。

本当に嫌ならアルドリックは拒否すれば良かっただけの話。

別にこちらからお願いしてアルドリックを下さいなど言ってはいない。向こうから婿にしてくれと頼まれたから受けただけの話。

アルドリックである必要はないのだ。

王命でもなんでもなく、親心で結ばれた縁なのだから、本人が嫌なら別の令嬢を探したことだろう。

洗脳した人間は、スターブルーム家に対して長期間に渡る嫌がらせでもしたかったのだろうか。

未だ男が国政の中枢にいるからアルドリックは勘違いしていたのかもしれないが、爵位の継承に性別は不問と法で定められている。

即ち、女が爵位を継承して家門の当主になる事が出来る。

そうでなければ、その家の血を継がない男が愛人に産ませた子を跡取りとして家を乗っ取ることも起こり得るのだ。

事実、他国でその問題が発生して大変な騒動になったからこそ、法に定められた歴史がある。

つまり、アルドリックは婿入りしても、侯爵になることはないし、当然当主にもなれない。取り巻きの連中と『私が侯爵になった暁には幽閉してやる』など宣っていたらしい。そんな日は来ないのに。

一体なんの勉強をしてきたのか。

なお、洗脳した教師は重い処分を下されたらしい。二度と人前には出ることはないそうだ。

そして敵対する家に対してだが、父はこれまで適当にあしらっていたが、それが巡り巡ってこの事態になったことを受け、全ての力を使って反王家派諸共潰すつもりであると言う。

何はともあれ、無事に婚約の解消を果たせたスカーレットはとても気持ちよく熟睡出来た。

手足を犠牲にして得られた自由にスカーレットは満足していた。

そんなスカーレットが気付いていない、知らないことが多々ある。

この世界が、ある恋愛小説に酷似している世界だと言うことがまず挙げられる。

スカーレットの前世の人間は、本を読むのは好きでも、恋愛小説には全く興味がなかった。その為、この世界がそうであるなど気付く要素はなかったし、死に瀕しなければ前世の記憶がひょっこり出てくることは無かった。

記憶があったのは、奴隷に落とされた男爵家の娘の方だ。

彼女は小説の中の「ヒロイン」ではなく「ヒロインの従姉妹」であった。そう。彼女は早々にここが自分の好きな『もう一度あの星空の下で永遠を誓う』の世界だと気付いた。

彼女は自分がヒロインでは無いことを早々に理解したものの、ヒロインに入れ替わることは出来る、と気付いた。

何せ母親が双子の姉妹の従姉妹だから、顔が似ていた。お互いに父より母に似ているからこそで、よく見れば違いはあるものの、遠目から見れば間違われる程度には似ていた。

それに、親の爵位だって同じだからこそ、彼女は自分が「ヒロイン」になるつもりで計画を立てた。

その為には本物がいるのが邪魔である。かと言って殺すなんてことをするつもりはなかった。

本物のヒロインに沢山刷り込みをして、平民ながら裕福な商家の息子に恋をさせただけである。本来は彼女の相手なのだが、彼女は平民になるつもりはなかったので入れ替えたのだ。

そうして彼女は「ヒロイン」として振る舞い、アルドリックに近付いた。

だからこそ、彼女は気付いていなかった。この世界は小説の中の世界ではなくて、似ているだけの現実である、と。

一人一人に意思があり、行動によっては未来が変わる、当たり前にして誰も疑うことがない世界だと気付かなかった。

彼女は世界にストーリーがあり、必ずその結末に辿り着くと疑うこともなく信じきっていた。

もしストーリーがあるとしても「ヒロイン」ではない彼女がその座を奪った時点で破綻していると言うのに。

作中のスカーレット・スターブルームはアルドリックの婚約者としていたが、どれだけ彼女がアルドリックに近付いても嫌がらせも忠告も何もして来なかった。

このままだと望む結末に辿り着かない!と焦った彼女は人前で嫌がらせを受ける哀れな自分を演出しようとした。ついでに、ちょっとスカーレットを怒らせてしまえば本筋に戻ると思ったのだ。

その結果が、スカーレットを階段から突き落とした挙句に大怪我を負わせた殺人未遂である。

小説の中で「ヒロイン」は最終的に王子妃となり、幸せに暮らすとなって終わる。しかし、この世界ではアルドリックは婿入りで、スカーレットは侯爵家の跡取り娘。

小説にはスカーレットの兄がいたのに、この世界では存在していない時点で気付くべきだったのだ。

似ているようで違う世界だと。

結果として彼女は犯罪奴隷となった。当然である。

男爵家の娘が侯爵家唯一の嫡子を殺しかけたのだ。

彼女の生家は潰された。奴隷に落とされたのは彼女だけで、平民になった両親や弟は「何故そんな事をしたのか」と責めるよりも問い掛けてきて、そこで初めて彼女は自分のした事がどれだけ間違っていたのかに気づいた。

仮にこの世界に強制力があるならば、偽物ではなくて本物の「ヒロイン」を舞台の上に戻したはずだ。

それに「ヒロイン」には下心がなかった。偽物が本物になるなど出来るはずもないのに。

彼女はスカーレットが心から二人がくっ付くことを賛成していることを知らなかった。何もしなければ、彼女はアルドリックを確実に手に入れられたのだ。

ストーリーにこだわりすぎた結果、彼女は何もかも失った。

そしてもう一人、本物の「ヒロイン」も前世の記憶を持っていた。彼女はここが物語に似た世界だと知っていた。

何故なら、似た世界を生み出した「神」と直接会ったからだ。

その上で彼女はこの世界に降り立った。

ヒロインになるためでは無い。彼女が自由を手に入れるために。

前世の彼女は親の強い束縛を受けて育った。恵まれた環境だと周りは言うけれど、親が敷いたレールの上を歩くしか出来ない人生。

友人付き合いも決められた者しか認められず、結婚相手だって決まっていた。

一日のスケジュールは学校以外の全ての時間が決められていて、食べる物も決められている。

環境は恵まれていても、彼女は親の人形でしかなかった。意志を持つことなど許されなかった。

そんな彼女の転機は一人の友人で、実家よりも歴史と権力のある家の娘で、彼女の家に誘われたことだろうか。

普段ならば外泊など許さない親だが、その友人との付き合いは相当に魅力的だったようで、決して機嫌を損ねないようにと何度も何度も言い含められていた。

友人は彼女が親に強く縛られていることを知り、彼女に自由な時間を作ろうとしてくれたのだ。

生まれて初めて、自分の好きな物を食べ、嫌いなものを残す自由が許された。

友人の部屋には彼女が見ることも許されなかった、親が言うところの「低俗な本」が沢山本棚に並べられていた。

そこで手に取った本こそが『もう一度あの星空の下で永遠を誓う』だった。

専門書や学術書とは異なり、数時間もあれば読み終える小説の世界に彼女は魅了された。

その中で彼女が心惹かれたのは、ヒロインでも恋敵でもなんでもなく、ヒロインの従姉妹であった。

ほんの僅かにしか出てこない彼女は、平民の商家の息子と結婚し、その後は国を出て仕入れの為に旅をすると書いていた。

とても羨ましかった。

その後の人生で彼女は親の言うままに生きたが、心はあの時に読んだ本が残っていた。

結婚して子を産んだ時に出血多量で死亡した事は、担当した医師などに申し訳なさを感じた。彼等には悪いが、彼女は子を残すことはきちんとしたので、やっと解放されると思った。

そして彼女は神に出会った。

唯一人生で読んだ娯楽小説『もう一度あの星空の下で永遠を誓う』の世界を作ったから、行ってみないか?との誘いに乗った。

ただし、神は干渉こそしないが娯楽に飢えていた。

ヒロインの器に彼女を、ヒロインの従姉妹の器に小説のヒロインになりたがっている魂を、そして恋敵の器に余程でなければ目覚めることは無い、この世界を知らないけれど、高次元の神々が定める救済せねばならない魂の一つを入れる。

そこからどう未来を手に入れるか見せてみろ、と言った。

ストーリーも強制力もない、動けば未来が当たり前のように変わる世界。

彼女は似ているようで似ていない従姉妹の中に、この世界を知る魂が入っていることを知っていた。そして必死に自分の立場になろうとして、小説では従姉妹が結婚するはずの人を勧められるのを素知らぬ顔で受け取った。

出会った彼はとても良い人で、結婚後は仕入れの旅に出て各国を巡ることになるんだ、と申し訳なさそうに言ったが、彼女はそれを求めていた。

心からの喜びのままに、楽しみ!と言えば、彼は顔を真っ赤にしていた。

前の人生で夫との仲は可もなく不可もなく。政略結婚なのだから愛はいらなかった。

でも、この世界で彼女は自由を得た。恋愛だって出来る。

決して整った顔立ちの人ではない。しかし、信頼される商人らしい、人の良さそうな顔と、はにかむ笑顔が彼女の心のど真ん中を貫いた。

前の人生と今の人生、全てを合わせて、初めて彼女は恋をした。

そうして彼女は彼と結婚をして、他国への旅に出た。

ヒロインとして入れ替わった従姉妹は、どうもこの世界にはストーリーがあると思っているようだったけれど、忠告はしなかった。

神はそれすらも楽しんで見ていると思ったからだ。

商隊を組んでの旅は楽しくて、夫との買い付けや交渉、根回しなども新鮮で、毎日を楽しんでいた頃、彼女は従姉妹が犯罪奴隷に落とされた事を知った。

彼女と従姉妹の母が双子の姉妹で、下手をしたら連座の可能性、と焦るものの、彼女と彼女の家だけで済んだことにホッとした。

どうやら従姉妹は下手を打ったらしい。

物語に固執してその通りになるようにしようとして、恋敵を殺しかけたそうだ。

吹けば飛ぶような男爵家の娘が、侯爵家唯一の総領娘を傷付けることすら身分社会では有り得ないことなのに。

この事は夢に神が出て教えてくれた。

結果として、恋敵になるはずだった令嬢は死に瀕したことで前世の記憶が現れたが、大怪我の療養の為にまだ動くことはないものの、特段変わったことをすることはないだろう。

お前は自由を手にして本当に楽しそうにしているな。

一番振り回されて、そして自滅したあの娘が我を楽しませた。

なんて悪趣味な事を言っていたが、まあ、その為にこの世界を作ったのだし、全て選んだのは自分達の意思なので、娯楽を提供出来て良かった、とだけ伝えた。

今後はもう話しかけることもない。好きに生きよ。

そう言って消えた神。

好きに生きているので今更だなぁ、と思いながら、彼女は夢から目覚めた。

寝た気がしなかったことだけは文句をつけたかった。

斯くして、神の娯楽の為にこの世界に運ばれた三人の魂は、それぞれの結末を迎えた。

見ているだけの神は、大変満足したそうだが。

手足の骨を折り、全身打撲で苦しむスカーレット・スターブルームは、激痛に呻きながら、取り敢えず、衛生環境は奇跡的に良かったから、健康に関わること、特に医療系を改善したいな、と現実逃避をしていた。