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「これより婚約の履行を宣言する」

作者: 鶴屋

本文

アイゼンベルグ公爵令嬢、セシリア・フォン・アイゼンベルク、つまり私は、次期王妃と目されていた。

理由は単純明快で、この国の王太子であるルシアン・レオポルト・フォン・ローゼス――ルシアン殿下と婚約していたからだ。7年も前から。

(典型的な政略結婚ですけども)

年端もいかない、子供の頃に決められた婚約。

別に不満はない。

それどころか結婚の相手としては申し分ないとすら思っている。家柄がほどほどにつり合い、顔色をうかがう必要もないし、うかがわれるようなこともない。

雑談をすれば会話が弾むし、何よりルシアン殿下の口からは他人の悪口も陰口も出てこない。身分の低い使用人や部下を含めてだ。きっと自分のことも、他人の前で話題に上らせるときに悪く言う事はないのだろう。

問題があるとすれば、自分の方だ。

くすんだ金髪。化粧で隠さなければそばかすが目立つ頬。貴族令嬢は美女が多いのだが、哀しいかな私は中の上どまりの容姿だった。

社交パーティーで出会う見目麗しいご令嬢とは比べ物にならないし、『断るのも角が立つから』ということでダンスの誘いに応じる婚約者の姿を見て、『ちくしょうその方は私のなんだぞ弁えやがれ』と内心で思いながら殺気あふれる視線を向けたことは一度や二度ではない。

(駄目よ。容姿に恵まれぬ哀しいセシリア。心までブスになってはいけないわ)

気を取り直して『次は私と踊ってくださらないかしら』と言えば、殿下は当然のごとく応じてくれる。というわけで私は、将来の旦那様のことが好きだった。

あの事件を、殿下が起こすまでは。

***

「セシリア・フォン・アイゼンベルク公爵令嬢」

「はい……?」

その事件は、卒業パーティーで起こった。

卒業生代表であり、実力でもぎ取った主席――壇上に立つルシアン殿下が、私の名を呼ぶ。

多くの者たちの顔に、これから起こることへの期待と好奇心の色が浮かんでいる。

(ああ、やっぱり……そういうことなのね……)

親しい侍女からこっそりと、耳打ちされていた。

ここ数か月、王太子であるルシアン・レオポルト・フォン・ローゼスが、学園の生徒会の面々を――誰も彼もが私など及びもつかない美貌の令嬢だ――連れて街へ出かけていることを。

必ず1対1で出かけるそうだが、どの娘とも親しげな雰囲気だったという。

男爵令嬢から侯爵家の令嬢まで、身分はさまざまだったが、その様子は間違いなくデートだった。

殿下は決まって、連れている令嬢と宝石店に訪れる。

先日、大粒のサファイアの周りを無数のダイヤモンドが彩る、とても高価な指輪を買ったらしい。

本命が誰なのかは不明。

だが、正式な婚約者であるはずの私が何も聞かされていない。

それが全てを物語っていた。

セシリア弱音『婚約生活を7年も続けてのこの仕打ちかあ。せめて惚れる前にすっぱり言ってくれたらよかったのになあ』

セシリア本音『だめよセシリア。男に捨てられたらきちんと報復しなきゃ。

ほら、侍女が貸してくれた本にもあったでしょう? 『ざまぁ』展開っていうやつ。

具体的に何がどうやったらそうなるのか分からないけど運命を信じるのよ。婚約者を捨てた男はひどい目に……だめ。絶対ダメ。ルシアン様にはひどい目にあって欲しくないわ。だって好きなんですもの。

せめて私の知らないところでお幸せになってください』

ともあれ。

ここまで様式美を整えられた状態で、その場にいる皆がこれから起こることを理解していた。

「ついに婚約破棄か」ヒソヒソ

「相手は誰だろう」ヒソヒソ

「面子を潰されたアイゼンベルグ公爵家も黙ってはいまい」ヒソヒソ

噂をする貴族たちをよそに、ルシアン殿下は真っ直ぐに私を見つめ、うながす。

「セシリア。早く来てくれ。話が進まない」

貴族たちのざわめきが止まり、異様なほどの静けさがあたりを覆った。

「は、はいっ」

ドレスの裾を持ち上げ、てとてとと歩く。階段を上る際にずっこけそうになったが、殿下に支えられて事なきを得た。

(こんな時にまで優しくしてくれなくていいのに)

内心で毒づく。名目上とはいえ7年間も結婚を前提に付き合っていた相手からもうすぐ捨てられるというのに、肩が触れるくらい近い距離にいるのがうれしい自分が恨めしい。

きりりとした眉。一見して細身なのにほどよく筋肉がついた引き締まった身体。

私がこっそりと王太子×侍従長本を書いているのを知った上で見て見ぬふりをして許してくれた度量の広さ。

殿下の何もかもが好きだった。

「セシリア・フォン・アイゼンベルク公爵令嬢。これから、私、ルシアン・レオポルト・フォン・ローゼスは宣言する」

(来た……!)

誰も口にはしない。

しかし全員が同じ結論に辿り着いていた。

会場の空気が張り詰める。

一つ深呼吸をした後に、ルシアンの口が開く。

「これより、あなたとの 婚(・) 約(・) の(・) 履(・) 行(・) を(・) 宣(・) 言(・) す(・) る(・) 」

「……はい?」

会場がどよめいた。

殿下を除く誰もが予想していたのは、婚約破棄。

殿下が言い出したのは、婚約履行。

聞きなれない言葉だ。

「ええと……婚約破棄ではなくて?」

予想と逆をいく展開に、頭が追いつかない私。

「ああ。履行だ、より正確には、卒業後につつがなく結婚をすることの宣言だ。

君が応じると言ってくれれば、関連各所への招待状の送付、結婚会場の手配、ウェディングドレスの選定などなどもろもろの準備をすぐに行えるようにしてある」

「えっと……、近ごろ、お美しい令嬢と一緒に宝石店に出入りしていたのは」

「君に贈る前提で、どういう指輪がいいかのアドバイスを同年代の令嬢から聞いていたのだが。……はっ!?」

殿下は目を見開き、深々と頭を下げた。衆人環視の状況で。

「すまない。本人の希望を聞くのが一番だったか。婚約指輪に関しては、妻となる者に内緒で気に入られるものを手配するのが男の器量と父上から伺ったのだが」

殿下が壇上に置かれた小物入れから手のひらサイズの箱を取り出す。

中には、キラキラと光る指輪があった。

「まあ素敵!」

思わず声が漏れた。完全に好みのデザインだったから。

澄み渡る大粒のサファイアと、周囲を飾るミニダイヤモンド。高額な宝石があしらわれているだけではない。一流の造詣職人の技術が詰め込まれている。

「素晴らしい逸品だと思います……というか、私でよろしいのですか?」

「何故そんなことを聞く? 親同士の約束とはいえ、私と君は正式な婚約者ではないか」

「では……くどいようですが婚約破棄は……」

「する理由がどこにあるのだ?」

殿下が心底からわけがわからないという顔で、私を見た。

「わたし、二分法で言えばブス寄りの側で、自己評価の甘い基準でもせいぜい中の上ですよ。化粧で誤魔化してる顔をちょっと拭いたらそばかすまみれですし、おっぱい、もとい、お胸もつつましく……」

それだけではない。

ルシアン殿下の周りには見目麗しい令嬢がたくさんいて、ことに殿下が所属していた生徒会長の面々は美貌ぞろい、家柄も人柄も遜色ない。わたくし以上に魅力を備えた人ばかりなのに。

「そういう話は声を潜めた方がいいが。

まあ、なんだ。

私にとっては君がいちばん可愛い。

君がいいんだ。君に惚れたんだ」

やめてくださいルシアン殿下。

こともあろうに衆人環視の前でそういう直球の勘違いしようもないほめ言葉をくださるのは。嬉し恥ずかしで死んでしまいます。

「それとも何か、やはり政略結婚だから気に食わないか」

「いえまさかそんな。私もルシアン殿下のことが好きです」

「昔みたいに呼び捨てでいい。

ともあれ、君は七年間、婚約者としての責務を果たしてくれた。浮気もせず、浪費をせず、誰かを不要にけなして敵を作ることもなく」

普通に振舞っていただけですが。

「何より、私を支え続けてくれた。愚痴を聞いてくれた。対等な人間としてくだらない雑談相手になってくれた。誕生日には必ず、心のこもったプレゼントをくれた」

それは、はい。お慕いしている相手ですので。

「よって私は君を妃に迎えたい。

親同士の契約ではなく、一人の男として。

返答は後日でいい。どんな答えでも、君にも君の家にも名誉を傷つけることはないようにする。ただこの場で、私が誰を愛しているかをはっきりと宣言しておきたかった。

良からぬ噂や邪推をされぬために」

「ルシアン殿下……いえ、ルシアン……」

感極まった私は、ルシアンに抱きついた。

そしてすぐに抱きしめ返された。温かいぬくもりに包まれる。……しゅき。

「後日まで待つ必要はありません。あなたのプロポーズ、この場でお受けしますわ。

わたくし、セシリア・フォン・アイゼンベルクは政略結婚ではなく自らの意志でルシアンと婚約し、生涯を愛すると誓います」

殿下と学友の前で、私ははっきりと宣言した。

そしてルシアン殿下の大きな手のなかに収められたケースに視線を向ける。

心得た殿下は、中に収められた指輪を手に取った。私は無言で、左手を差し出す。

薬指に指輪がはめられた。

ぴったりだった。

なりゆきをぽかんと見守っていた学園の皆が、先生方が、大きくどよめく。

そのどよめきの中、口笛を吹く音がした。

「おめでとう」

「おめでとうございます、王太子殿下、セシリア様!」

「末永くお幸せに!」

パチパチパチパチ……と、拍手の音が大広間に鳴り響いた。

***

――という、事件がありまして。

私の『好き』は、『大好き』に変わったのでした。