軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第64話 遠のく声と、突然の無音の世界

星祭りの熱狂から数日が過ぎ、オルステッド領はいつもの穏やかな日常を取り戻しつつあった。

しかし、私の周囲では、ほんの少しだけ異変が起きていた。

「……気のせい、かしら」

自室のドレッサーの前で、私は首を傾げた。

いつもなら、私が鏡の前に座った瞬間に『おはようございます奥様! 今日も肌ツヤが最高ですね!』と元気な声を聞かせてくれる鏡台が、今朝は妙に静かなのだ。

「鏡さん? 調子が悪いのですか?」

私がそっと木枠を撫でると、奥の方からノイズ混じりのような、ひどく掠れた声が返ってきた。

『……おは……よ、ござい……ます……。なんだか……とっても、眠くて……』

「眠い……?」

モノが眠気を訴えるなんて、今まで一度もなかったことだ。

不思議に思いながら身支度を整え、私は朝食をとるために食堂へと向かった。

「おはようございます、ジークハルト様」

「……ああ、おはよう。顔色が少し悪いが、どこか痛むのか?」

席につくなり、ジークハルト様が心配そうに私の顔を覗き込んできた。

そのアイスブルーの瞳は、私のわずかな変化も見逃さない。

「いえ、体調は全く問題ありませんわ。ただ、少し……」

私は言い淀みながら、テーブルの上に並べられた食器たちに視線を落とした。

いつもなら『俺から食べてくれ!』『今日のスープの熱さは完璧だぜ!』と大合唱が起きる朝食のテーブル。しかし今日は、どの子も『……ううん……』と微かな寝息のような音を立てているだけで、全く喋ろうとしない。

「……少し、城の中が静かすぎる気がして」

私が正直に打ち明けると、ジークハルト様は軽く眉を寄せた。

「そうか? 俺にはいつもと同じに聞こえるが……。お前がそういうのなら、何か理由があるのだろう」

彼は私の言葉を疑うことなく、すぐにセバスチャンさんに視線を向けた。

「セバスチャン。領内で何か、変わった報告は上がっていないか」

「いえ。温泉街も地下迷宮も、至って順調に稼働しております。……強いて言えば、昨夜から少しだけ、領地全体の魔力濃度が低下していると、マーリン様から報告を受けておりますが」

「魔力濃度、ですか?」

私が尋ねると、セバスチャンさんが手帳を開きながら頷いた。

「はい。星祭りの夜、あの古代遺跡が打ち上げた巨大な魔力花火。あれが原因のようです。領地の地脈から吸い上げた魔力を一気に放出したため、現在、領地全体の魔力が息切れを起こしている状態だとか」

「息切れ……! もしかして、みんなが眠たそうにしているのは、そのせいでしょうか」

私の言葉に、壁に立てかけられていた魔剣グラムが、カタ……と弱々しく鳴った。

『……その通りだぜ、奥様』

グラムの声も、まるで遠くから糸電話で話しているように、ひどく遠く、小さかった。

『モノが意思を持ったり、喋ったりするには、空気中の微量な魔力が必要なんだ。……それが今、スッカラカンになっちまってる。人間で言うところの、深刻な酸欠状態だな』

「そんな……! みんな、大丈夫なのですか!?」

『心配すんな。地脈の魔力は自然に回復する。……ただ、完全に元に戻るまでは、俺たちモノは、休眠状態に入らざるを得ないみたいだ……。ふわぁ、俺様も……そろそろ限界……』

グラムの刀身を包んでいた紫色のオーラが、フッと蝋燭の火が消えるように消滅した。

それと同時に、城中から聞こえていた微かなモノたちの寝息すらも、パタリと止んでしまった。

「グラムさん!? 鏡さん! ティーカップさん!」

私が慌てて呼びかけても、もう何の返事もない。

ただの冷たい金属と、ガラスと、陶器の塊に戻ってしまったかのようだった。

「コーデリア、落ち着け」

ジークハルト様が席を立ち、私の肩を優しく抱き寄せた。

「……セバスチャンの報告通りなら、魔力が枯渇して休眠状態に入っただけだ。魔力が回復すれば、またうるさいくらいに喋り出すはずだろう。……お前が不安な顔をしていては、あいつらも安心して眠れないぞ」

「……はい。そう、ですよね」

私は彼の大きな手に自分の手を重ね、どうにか自分を落ち着かせた。

ジークハルト様の言う通りだ。今はただ、魔力が回復するのを待つしかない。

そう自分に言い聞かせ、私はその日、できるだけ普段通りに過ごすよう努めた。

そして、翌朝。

私は、鳥のさえずりと共に目を覚ました。

窓からは明るい朝日が差し込み、柔らかな風がカーテンを揺らしている。

いつもと変わらない、平和な朝の風景。

「……んっ。おはようございます、ベッドさん」

私は目を擦りながら、いつものように天蓋付きのベッドに声をかけた。

――。

返事はない。

スプリングが弾むような嬉しそうな声も、シーツの柔らかな挨拶も聞こえない。

「……おはよう、カーテンさん。クローゼットさん」

――。

しん、と静まり返った部屋。

聞こえるのは、自分の衣擦れの音と、呼吸の音だけ。

私は胸の奥がザワザワと波立つのを感じながら、ベッドから飛び降りた。

そして、急いで身支度を整え、ジークハルト様の執務室へと向かった。

執務室の机の横には、昨日と変わらず、魔剣グラムが立てかけられていた。

「グラムさん! おはようございます! 今日の調子はどうですか?」

私がグラムの柄を両手で握りしめ、声をかける。

いつもなら『うおっ、朝から奥様の熱いハグ!』と騒ぎ立てるはずの彼からの返事を、私は耳を澄ませて待った。

一秒。

三秒。

十秒。

何も、聞こえない。

ただの、冷たい鉄の感触。

私がどれだけ魔力を込めようとしても、どれだけ心の中で呼びかけても、グラムからの声は一切私の頭の中に響いてこなかった。

「うそ……」

私の手から、力が抜け落ちる。

コトン、と音を立てて、グラムが壁に立てかけられた。

声が、聞こえない。

モノたちの声が、完全に消えてしまった。

それは、一時的な魔力の枯渇が原因だと、頭では分かっている。

時間が経てば、きっとまたあのお喋りで賑やかな日々が戻ってくるはずだ。

けれど。

王都で気味が悪いと虐げられ、孤独な世界を生きていた頃の記憶が、冷たい泥のように足元から這い上がってくる。

私を私たらしめていた『 万物の代弁者(ヴォイス・オーバー) 』の力が、消えた。

圧倒的な無音の世界が、容赦なく私を包み込んでいた。