軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第47話 地獄の執務と、商魂たくましい再訪者

「旦那様、こちらの決裁書にサインを。奥方様は、この農地拡大の計画書のご確認をお願いいたします」

ドサッ、ドサッ。

執務室の分厚いオーク材のデスクに、無慈悲な音を立てて書類の山が築かれていく。

お忍びデートから帰還した私たちを待っていたのは、セバスチャンさんの鉄壁の笑顔と、丸一日家を空けた代償……もとい、膨大な領地経営の仕事だった。

『重い! 書類重いよぉ! 俺の脚が折れちゃう!』

デスクが悲鳴を上げている。

『旦那様、筆圧強すぎ! 俺の芯が折れる! もっと優しく握って!』

ジークハルト様が握る万年筆も、ギリギリと音を立てて泣いていた。

「……セバスチャン。いくらなんでも、一日でこんなに溜まるものか?」

ジークハルト様が、死んだ魚のような目で書類の山を睨みつける。

温泉旅館での甘く蕩けるような時間は完全に過去のものとなり、彼は今、凄まじい処理速度で書類にサインを書き殴っていた。

「ええ。領地が発展するということは、そういうことですから。それに、昨日旦那様方が極秘で抜け出されたせいで、予定外の調整が多数発生いたしまして」

セバスチャンさんの眼鏡が、キラリと鋭く光る。背後に般若の幻影が見える気がした。

「うっ……申し訳ありません、セバスチャンさん」

私が縮こまって謝ると、セバスチャンさんはふっと表情を和らげた。

「奥方様が謝られることはございません。たまの息抜きは必要ですから。……ただ、次回からはせめて、行き先と連絡手段だけは残していってくださいませ。私が胃薬の過剰摂取で倒れる前に」

『ご主人様、内心で「もう二度と無断外泊はしない……セバスチャンが怖すぎる……」って震え上がってるぜ! 辺境の猛将も、育ての親には頭が上がらねぇな!』

壁に立てかけられたグラムが、ゲラゲラと笑っている。

数時間後。

新人使用人たちのサポート――ジャンさんが夜食のサンドイッチを差し入れてくれたり、リリィさんが凄い勢いで空いた書類を片付けてくれたり――もあり、なんとか目の前の山を平らげた。

「……終わった」

ジークハルト様がペンを置き、深く背もたれに体を預ける。

「お疲れ様です、ジークハルト様。肩、揉みましょうか?」

私が後ろに回って彼の広い肩に手を置くと、彼はビクッと体を震わせ、心地よさそうに目を閉じた。

「……あぁ。……助かる」

『翻訳! 「コーデリアの手が! 肩に! 疲れが吹っ飛んだ! むしろこのまま一生揉んでいてほしい! いや、俺が揉み返すべきか!?」って、脳内でテンション爆上がりだぞ!』

彼が私の手に自分の手を重ねようとした、まさにその時。

コンコンッ!

無情なノックの音が響き、セバスチャンさんが入室してきた。

「旦那様、奥方様。お疲れのところ申し訳ございませんが、王都から『例の商人』が到着いたしました。面会を強く希望されております」

「……ボルドーか」

ジークハルト様が、渋い顔で眉間を揉んだ。

応接室に通されたのは、派手な身なりの恰幅の良い男性だった。

私たちが作った雪解けカブの価値をいち早く見抜き、王都との独占取引を持ちかけてきた豪商・ボルドー氏だ。

「おお! オルステッド公爵閣下! そして麗しきコーデリア奥方様! お久しぶりでございます!」

ボルドー氏は、両手を揉み手しながら、満面の笑みで深々と頭を下げた。

『うわぁ、相変わらず胡散臭い笑顔だな! でもこいつ、金払いはいいから嫌いじゃないぜ!』

グラムの言う通り、彼は非常に計算高いが、義理堅く優秀な商人でもある。

「……何の用だ。カブの納品なら、予定通り行っているはずだが」

ジークハルト様が、ソファに深く腰掛けたまま冷たい声で問う。

威圧感たっぷりだが、ボルドー氏は全く怯む様子がない。

「ええ、ええ! カブも温泉の恩恵で大豊作、王都の貴族たちもこぞって買い求めております。しかし、私が今日参りましたのは、さらなる『ビッグビジネス』のご提案でございますよ!」

ボルドー氏が、バァン! とテーブルの上に羊皮紙の束を広げた。

そこには、細かい文字と図面がびっしりと書き込まれている。

「現在、この温泉街は連日大盛況。冬の寒さを忘れる素晴らしいリゾート地として、王都でも噂が絶えません。しかし! もうすぐ季節は春、そして『夏』へと向かいます」

彼が勿体ぶったように人差し指を立てる。

「夏になれば、温泉の魅力は少しだけ下がってしまいます。そこで、夏の目玉となる『新たな特産品』を開発すべきかと!」

「……新たな特産品?」

私が尋ねると、ボルドー氏はニヤリと笑った。

「はい! 先日、領内の北の山で氷の洞窟が発見されたと伺いました。一年中溶けない万年氷があるとか。それを利用して……『天然氷のかき氷』を売り出すのです!」

「かき氷……!」

それは、王都でも一部の王族しか口にできない、超高級な氷菓だ。

氷室で保存した氷を削り、果物の蜜をかけて食べる夏の風物詩。

「それに加えて、発光する魔鉱石を使った光るアクセサリー! これを夜の温泉街で売り出せば、若いカップルに大ウケ間違いなし! そして夏の終わりに、領地を挙げての『星祭り(夏祭り)』を開催するのです!」

ボルドー氏の口から次々と飛び出すアイデアに、私は目を輝かせた。

「素晴らしいですね! かき氷、食べてみたいです。お祭りも、みんなでやったら絶対に楽しいわ!」

私がぱぁっと表情を明るくすると、隣のジークハルト様がビクリと反応した。

「……お前が、食べたいのか?」

「え? はい。それに、お祭りがあれば、領民の皆さんももっと笑顔になれると思います」

私が答えると、ジークハルト様はボルドー氏に向き直り、即答した。

「……よし。採用だ。資金はいくらでも出す。すぐに氷の採掘計画と、祭りの準備を進めろ」

「えっ!? だ、旦那様!? まだ採算の計算も……」

「妻が食べたいと言っている。……そして、妻が笑うなら、それが最大の利益だ」

『うおおおお! 出たー! ご主人様のコーデリア至上主義! 採算度外視のスーパー愛妻家発言! 商人相手に交渉術ゼロだぜ!』

ボルドー氏は一瞬ポカンとした後、「さ、さすがは閣下! 話が早くて助かります!」と揉み手を加速させた。

「ちょ、ちょっとジークハルト様! いくらなんでも即決すぎます!」

私は慌てて彼の袖を引いたが、ジークハルト様は「……ん? 駄目だったか?」と、どこかきょとんとした顔をしている。

この人は、私に関することになると、途端に財布の紐がなくなってしまうのだ。

『ソファも呆れてるぜ! 「旦那様、奥様のことになると本当にチョロいですね……」ってさ!』

「まあまあ、奥方様。公爵閣下のその決断力こそが、この領地を発展させる原動力なのですから。私も、商人としての腕が鳴りますよ!」

ボルドー氏が朗らかに笑う。

こうして、オルステッド領の新たなプロジェクト――夏の特産品開発と星祭りの開催が、驚くべきスピードで決定した。

まだ外には雪が残っているけれど。

私たちの心は、これから訪れる賑やかな夏へと、一足先に駆け出していた。