軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第29話 騒がしくて温かい、私たちの帰る場所

叙爵式から数日が過ぎ、私たちは王都を発つことになった。

王城の正面ゲート前には、見送りのために陛下をはじめとする多くの貴族たち、そして近衛騎士団が整列していた。

かつて私が追放された時は、誰も見向きもしなかった場所だ。冷ややかな視線と嘲笑を浴びせられた記憶が、遠い昔のことのように思える。

今の私は、国を救った英雄として、そして新たに叙爵された公爵の妻として、温かな眼差しで見送られようとしている。

「……本当に行くのか? もう少しゆっくりしていっても良いのだぞ?」

陛下が名残惜しそうに声をかけてくる。

その背後では、城壁や門扉、そして城内の窓ガラスたちが一斉にガタガタと震えていた。

『やだやだー! 行かないでぇ!』

『コーデリア様がいないと寂しいよぉ!』

モノたちの悲痛な叫びが聞こえてくる。

私は苦笑しながら、城門の柱にそっと手を触れて語りかけた。

「寂しがることはありませんよ。私たちには『世界最速の馬車』がありますから。またすぐに、定期的なメンテナンス(おしゃべり)に来ます」

『えっ、本当!?』

『すぐ来る!? 絶対!?』

「ええ、約束します。月に何度かは必ず。それに、困ったことがあったらいつでも風に乗せて声を届けてくださいね」

私が柱を優しく撫でると、モノたちはパァッと明るさを取り戻した。

噴水が『じゃあ待ってる!』とハート型の水を吹き上げ、城壁のレンガたちが『掃除しとく!』とカタカタ揺れる。

単純で、愛すべき子たちだ。

「……なるほど。あの暴走馬車で頻繁に来る気か」

陛下は少し引きつった笑みを浮かべつつ、最後は穏やかな表情で手を振った。

「達者でな、愛妻家公爵殿。そして、我が国の至宝コーデリアよ。……そなたのおかげで、この国は救われた。本当に、ありがとう」

「行って参ります、陛下。王都の皆様も、どうかお元気で!」

私が馬車に乗り込むと、ジークハルト様が隣で扉を閉めた。

待機していたのは、例の世界最速の馬車だ。屋根の上には、王都観光を終えたガーゴイルたちが数体、ちゃっかりと鎮座している。彼らもお土産(王都の珍しい形の石ころ)を抱えて満足そうだ。

「……帰ろう。俺たちの城へ」

「はい!」

ジークハルト様の合図と共に、御者が鞭を鳴らす。

馬車は爆発的な加速で王都を飛び出した。

窓の外の景色が流星のように過ぎ去っていく。見送りの人々の姿が小さくなり、やがて地平線の彼方へと消えていった。

馬車の中は、驚くほど静かで快適だった。

外の景色は凄まじい速度で流れているが、車内は嘘のように静寂に包まれていて、まるで揺りかごの中にいるようだ。

「……疲れたか?」

隣に座るジークハルト様が、私の手を握りながら優しく尋ねてくる。

「いいえ、心地よい疲れです。……なんだか、夢を見ていたみたい」

「夢、か」

「はい。追放された私が、まさか王都の魔道具の持ち主になって、公爵夫人として帰るなんて」

私が笑うと、彼は愛おしそうに私の髪を撫でた。

「夢ではない。……お前が掴み取った現実だ」

『ヒュー! その通りだぜ! 全部コーデリアちゃんの実力だ!』

私たちは手を繋ぎ、変わりゆく景色を眺めた。

豊かな平原を抜け、険しい山道を越え、やがて空気が冷たく澄んだものに変わっていく。

懐かしい、北の風の匂いだ。

そして――。

――キキィィィッ!!

見慣れた黒い城壁の前で馬車が停まった。

私が外へ一歩踏み出すより早く、白い毛玉が飛び出した。

「ワオォォォォォンッ!!」

愛犬のポチだ。彼は久しぶりの雪の感触を楽しむように転げ回り、千切れんばかりに尻尾を振っている。

『着いたー! 我が家だ! やっぱりここが一番落ち着くぞぉぉ!』

屋根の上からはガーゴイルたちが舞い降り、さらに城の正門が『バンッ!』と勢いよく開いた。

『おかえりなさいませー!』

『奥様が帰ってきたぞー!』

玄関ホールのシャンデリア、カーペット、鎧の騎士たち、そして執事のセバスチャンさんをはじめとする使用人の皆さん。

全員が笑顔で、私たちを出迎えてくれた。

セバスチャンさんに至っては、感極まってハンカチで目頭を押さえている。

「おかえりなさいませ、旦那様、奥様。……ご無事で、本当によろしゅうございました」

「……ああ。ただいま戻った、セバスチャン」

ジークハルト様が、珍しく柔らかな表情で頷く。

王都での緊張感から解放され、本来の「家」に戻った安堵感が滲み出ていた。

私も大きく深呼吸をする。冷たくて美味しい空気が、胸いっぱいに広がる。

「ただいま、みんな!」

私が声を上げると、城中の家具たちが『おかえりなさーい!』と合唱した。

旅装を解いた後、私たちは城のテラスに出た。

夕暮れ時、空は美しい茜色から群青色へとグラデーションを描いている。

眼下には、以前私が提案して開発を進めていた「温泉街」が広がっていた。湯煙の向こうで、多くの人々が行き交い、笑い合っているのが見える。

「すごい……。本当に賑やかになりましたね」

以前は閑散としていたこの土地に、今は明かりが灯り、活気が溢れている。

観光客だけでなく、領民たちも生き生きと働いている様子が伝わってくる。

「ああ。お前が来てくれて、俺の領地は変わった。……色のない世界に、鮮やかな色が溢れたようだ」

ジークハルト様が、不意に私の手を取り、真剣な眼差しで見つめてきた。

その瞳には、夕日の輝きと、それ以上に熱い光が宿っている。

「王都でのことも、領地のことも……礼を言うだけでは足りない。お前は俺に、生きる意味と喜びを教えてくれた」

不器用で、飾り気のない言葉。けれど、それはどんな詩よりも深く、私の心に染み渡った。

その時、腰のグラムがカタカタと小刻みに震え出す。

『ヒュー! ご主人様ったら詩人! でも内心じゃ『愛してる、一生離さない、今日こそ一緒に寝たい、あわよくば膝枕で耳かきまでセットでお願いしたい』って煩悩まみれだぜ!』

ジークハルト様が、震える柄を強く握りしめた。

そして、真っ赤な耳で、しかし決して視線を逸らさずに、力強い声で告げた。

「……愛している。誰よりも、何よりも」

それは心の声ではなく、震える空気となって私の耳に届いた。

『…………ちっ。言われちまったぜ』

グラムが少し悔しそうに、でもどこか嬉しそうに呟くのが聞こえた。

風に乗って、麓からは温泉客の笑い声が、城内からはポチのはしゃぐ声とセバスチャンさんの窘める声が聞こえてくる。

かつて、「独り言が気味悪い」と婚約破棄され、すべてを失った私。

けれど今、私の周りにはこんなにもたくさんの「声」が溢れている。

お節介な魔剣、甘えん坊のフェンリル、陽気な家具たち。

そして、不器用で誰よりも優しい、愛おしい旦那様。

騒がしくて、温かくて、愛に満ちたこの場所こそが――私の本当の居場所。

「……はい。私も愛しています、ジークハルト様」

私が答えると、彼は安堵したように微笑み、そっと私を抱き寄せた。

その腕の中は、世界で一番温かくて安心できる場所だ。

「さて、そろそろ戻りましょうか。セバスチャンさんが特別なお茶を用意して待っていますよ。それに、ポチがお腹を空かせて暴れだす頃です」

「ああ。……手は、繋いだままでいいか?」

「ふふ、もちろんです。これから先も、ずっと」

私たちは手を繋ぎ、光と声に満ちた我が家へと歩き出した。

これからもきっと、色々な騒動が起きるだろう。王都の魔道具たちが駄々をこねたり、ポチが温泉に飛び込んだり、グラムさんが余計なことを言ったり。

でも大丈夫。私たちなら、どんな「声」も笑顔に変えていけるはずだから。

冷たい風が、二人の背中を優しく押した。

私たちの幸せな日常は、まだ始まったばかりだ。