軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

55

私は密かに王に呼ばれた。

公的な謁見ではない。重臣の姿もなく、儀礼の楽も鳴らない。通されたのは王の私室。

王は静かに言った。

「レオンハルト殿」

王は私を見た。

「そなたを、エリシアの婿とすることを考えている」

言葉は穏やかだが、重い。私は一瞬、呼吸を止めた。

「それは……過分にございます」

「国境は安定する。交易も保たれる」

王の視線は揺るがない。

「そなたは有能だ。血を流さずに勝つ術を知っている」

沈黙が落ちる。

「我が王家に迎えれば、両国の礎となろう」

それは評価であり、政治判断であった。

私は深く頭を下げた。

「陛下のご厚意、身に余る光栄にございます」

王は待つ。私はゆっくりと言葉を選ぶ。

「ですが」

空気がわずかに張る。

「我が国には、まだ果たすべき務めがございます」

王の目が細まる。

「兄と約束しております。必ず帰る、と」

嘘ではない。私は続ける。

「此度の滞在は、あくまで一時の使節としての務め」

私は、頭を上げない。

「我が身は、未だ国の臣にございます」

王は沈黙する。怒りはない。計算している。

「縁組は、両国の承認なくしては成らぬか」

「左様にございます」

正面からは否定しない。だが首肯もしない。

王はゆっくりと息を吐いた。

「忠義を重んずるか」

「それ以外に、立つ術を知りませぬ」

長い沈黙。やがて王は言った。

「……よかろう」

それは撤回であり、同時に試験でもあった。

「帰るがよい。だが覚えておけ」

王の声が低くなる。

「王家は、そなたを忘れぬ」

私は深く一礼した。

「恐悦至極に存じます」

エリシア視点

その奥、厚い織布の帷幕の陰に、王女エリシアは控えていた。

父王から、そこに居ることを許されていた。だが、口を挟む立場ではない。王の声が落ちる。

「そなたを、エリシアの婿とすることを考えている」

――胸が跳ねた。

まさか、ここで提案なさるとは。指先が冷える。思わず胸元を押さえる。

静まれ、と自分に言い聞かせる。これは政治。縁組は国のため。それ以上でも、それ以下でもない。

沈黙。そして――

「陛下のご厚意、身に余る光栄にございます」

レオンハルトの声。次の言葉を、彼女は息を止めて待った。

「ですが」

その一語で、胸が締めつけられる。

「我が国には、まだ果たすべき務めがございます」

否定。はっきりと。

「兄と約束しております。必ず帰る、と」

エリシアは、唇をかんだ。分かっていた。

彼はそう言うだろうと。忠義を選ぶと。それが彼だと。

だが――胸は、それでも期待してしまっていた。王とレオンハルトの会話は続く。静かな応酬。

やがて、父王の声が柔らぐ。

「……よかろう」

終わった。エリシアは深く息を吸う。

……でも、まだだわ。縁組は一国で決まるものではない。小国の王の決断があれば。

あるいは。

帷幕の陰から静かに離れる。足音を立てぬように。

何も言わない。何も見せない。王女として。

扉の外へ出る。廊下の冷たい空気が頬に触れる。

エリシアは振り返らなかった。

静かに、部屋を去った。

王視点

扉が閉じる。

帷幕の向こう、微かな衣擦れの気配が遠ざかる。

王は視線を動かさなかった。やがて気配が完全に消えたのを確かめると、王は深く息を吐いた。重い溜息であった。

「……やはり、か」

誰にともなく、呟く。あの一瞬の沈黙。

あのわずかな間。誘いを受けるか、退くか。

王はその呼吸を見ていた。

――そして、帷幕の向こうの、もう一つの呼吸も。

衣擦れが止まった瞬間。押し殺した気配。

あれは学問を学ぶ王女の静けさではない。

胸を締めつけられた娘の沈黙だ。

王の指が、机の上でわずかに止まる。

エリシアは表に出さぬ。幼い頃からそうだ。

庭で転んでも涙を見せず、兄王子に叱られても唇を噛み、人前では常に王女であろうとした。

だが、父には分かる。あの男の名が出るときだけ、視線がほんのわずかに柔らぐことを。

王は目を伏せた。

断るであろうことは、半ば読めていた。

それでも口にした。忠義を選ぶか。野心を選ぶか。

――そして、娘の心がどこまで揺れているか。王として知る必要があった。

「国の臣にございます」

あの言葉に迷いはなかった。あれは計算ではない。信だ。

王の口元が、ごくわずかに緩む。

奇才でも、英雄でもない。王が欲するのは、そういう男ではない。王の秩序の内で働く知恵ある者。それでよい。

手に入らぬ男ではない。だが、無理に引けば折れる。

……娘も、同じ気質か。

エリシアは王女。外交の札であり、内政を安定させるための結び目でもある。

婚姻は感情で決めるものではない。それは百も承知。王は椅子の背に深く体を預けた。

「……自由に、させてやるか」

低く、静かに。

「今は、な」

永遠ではない。忠義を貫く男は、裏切らぬ。

だが、情を覚えれば揺らぐこともある。

急ぐ必要はない。

婚姻とは、国を動かす鍵でもある。

自然と眉間に皺が寄る。政治の算段が浮かぶ。有力貴族との縁組。隣国との同盟。王位継承の均衡。

王は片手で眉間を押さえた。硬くなった筋を、ゆっくりともみほぐす。

王冠の重みは、常にそこにある。父でありたいと思うほどに、王である現実が重くのしかかる。

しばらくして、王はまぶたを閉じた。

「……愚かなことだ」

だが声音に後悔はない。試したのは、婿としてではない。男として。将として。

そして――将来の鍵となり得る存在として。

王は再び姿勢を正した。

次の政務が待っている。

父の顔は、そこまでだった。