作品タイトル不明
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巡礼者は、周りを見た。生理現象だが、門では奇妙な事を言われた。決められた場所で行うこと。
それにしても、臭いがしない。
「初めてか?」
背後から声がした。振り向くと、汚れた姿の男が立っている。手には木の柄の道具、足元には土のついた靴。
「……ああ。しかし妙だな、」
「何がだ」
「街が……あまり臭くない」
男は、少し笑った。
「それなら、理由を見ていくか?……聞いただろうが、規則がある」
そう言って、歩き出す。巡礼者も、ついていった。やがて案内されたのは、石で組まれた小屋のような場所だった。
「ここだ」
中を覗き、巡礼者は眉をひそめる。
「……これは」
奇妙な構造だった。穴が二つに分かれている。一方は浅く、もう一方は深い。
「分けてるんだ」
「分ける?」
「尿と便だ。最初から混ぜない」
巡礼者は目を瞬かせた。
「……それで、何が変わる」
男は、肩をすくめる。
「混ざると腐る。腐ると臭う。虫も湧く。なら――混ぜなきゃいい」
「……そうなのか?」
男は答えず木箱を開けた。中には、おがくずと灰が入っている。
「用を足したら、これをかける」
「……土を?」
「水を吸わせて、空気を入れる。腐らせるんじゃない。変えるんだ」
巡礼者は、黙ってそれを見た。
「最初から上手くいったのか」
そう問うと、男は苦笑した。
「まさか。最初はな、水で流そうとした」
少し遠くを見る。
「流す?」
「ああ。溝を作って、水を大量に流す。けれど足りなかった」
「水が?」
「それだけじゃない。溢れる、詰まる、止まる。全部駄目だ」
さらに続ける。
「埋めもした。……腐った。虫が湧いた。井戸も濁った」
巡礼者は、思わず顔をしかめる。
「……地獄だな」
「その通りだ」
男はあっさり言った。
「だから、上の人は言った。“試せ”ってな」
「試す……」
「ああ。何でもいいから試せ、って」
そこで、男は足元の土を軽く蹴った。
「農民たちが、やっていることを言ったんだ」
「何を」
「肥やしだよ。家畜の糞は、そのままじゃ使えない。干して、混ぜて、寝かせる」
巡礼者の目が、わずかに見開く。
「……それを、人にも?」
「そうだ」
男は頷いた。
「混ぜて、空気を入れて、積む。すると――熱を持つ」
「熱?」
「ああ。触れないくらいにな」
巡礼者は息を呑む。
「その熱で、虫が死ぬ。残るのは――」
男は、別の場所へと案内した。
そこには、黒く落ち着いた塊があった。
「土、か」
「そう見えるだろ?」
男は笑う。
「これ、売れるんだ」
「……売れる?」
「農民がな。畑にいいって」
巡礼者は、しばらく言葉を失った。
汚れが、価値になる。
そんな発想は、これまでなかった。
「……水はどうしている」
ふと、思い出して問う。人が増えると、困るのは水だ。男は、空を指した。
「上だ」
視線を上げると、大きな建物の屋根に張り巡らされた樋が見えた。
「雨を集めてる。地下に溜めてな、用途ごとに使い分ける。上が言ったんだ。新しく建てる建物には全て雨を集めるのを作るように、とな」
巡礼者は、ゆっくりと息を吐いた。
「……奇跡、ではないな」
思わず、そう言う。男は、少しだけ考えてから答えた。
「いや、奇跡みたいなもんだろ」
巡礼者は、苦笑した。
確かにそうだ。人の手で作られたものが、ここまで整っている。それは、神の秩序に近い。
「……来てよかった」
素直に、そう思った。
半信半疑で訪れたこの地は、確かに“何かが違う”。
――その頃。
私は執務室で、報告書に目を落としていた。
机の上には、いつものように紙束が積まれている。だが、その中の一枚に、視線が止まった。
「……増えているな」
短く呟く。記されているのは、各村からの収穫報告。麦、豆、根菜いずれも、例年を上回っていた。
「はい」
傍らで、マルクが一歩進み出る。すでに把握していたのだろう。
「あの肥料の効果かと」
黒く沈んだ土――あの“処理されたもの”が、畑に還されている。
「反発はなかったか」
「当初は強く。ですが、収量が目に見えて増え始めてからは……」
マルクは淡々と答える。
「結果が出れば、態度も変わるか」
「その通りでございます」
わずかに、口元を緩める気配。
私は、もう一度報告書に目を落とした。
数字は、嘘をつかない。衛生が整い、病が減り、そして土が肥える。
「……循環しているな」
思わず、そう呟く。
街の清潔さと、農地の実りが、一本の線で繋がっている。
「巡礼者の流入も増えております」
マルクが続ける。
「食糧の備蓄には、まだ余裕がありますが――」
「気を抜くな。増え続けるなら、いずれ均衡は崩れる」
「は」
即座の応答。
抜かりはない。私は、椅子に深く座り直した。窓の外では、人の流れが絶えない。笑い声と、車輪の音。
「……良い流れだ」
だが――それは、維持してこそ意味がある。
「続けろ。数字が落ちたら、原因を洗え」
「承知しております」
マルクは一礼し、静かに下がった。
私は、再びペンを取る。
――回っている。それを崩さないこと。
それが、今の私の仕事だった。