軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第8話 冷たい石のオークション

三ヶ月後。

人間、慣れるものだなと、最近よく思う。

売れないフリーライターだった頃の俺は、原稿料の振込予定日と、冷蔵庫の中の卵の数を同じくらい真剣に数えていた。今でもライターの肩書きは生きているし、過去の付き合いから小さな仕事が回ってくることもある。だが、生活の重心はとうに別の場所へ移っていた。

東都エナジー&ロジスティクス名義の小さな工房。

表向きには業務用高耐久再生バッテリーの実証ラボ。

実態としては、セル・チューナーという異星文明の技術を現代社会向けに薄め、誤魔化し、噛み砕いて流し込むための前線拠点。

そして、その背後にある本当の本拠地。

湾岸の古倉庫に偽装された、異次元空間型の秘密基地――海鳴りの倉庫。

表と裏。

金と秘密。

現代の法人契約と、異星文明の基幹技術。

だいぶふざけた取り合わせだと思う。

だが、そのふざけた現実は今のところ、むしろ順調すぎるほど順調だった。

作業台の上に並んだバッテリーを前に、俺は検査用端末の数字を確認しながら小さく息を吐いた。

EEL-RX――東都E&Lの業務用高耐久再生バッテリーライン。

一般販売は一切していない。対象は測量、港湾設備点検、映像撮影、災害訓練、そういった業務用現場だけ。量もまだ絞っている。

それでも、現場での評判は着実に積み上がりつつあった。

持ちがいい。

熱ダレが少ない。

終盤の挙動が読める。

予備本数が減る。

表向きのスペックシートより、現場の人間のその一言の方がよほど強い。天城澪は最初からそう言っていたし、実際その通りだった。

俺が検査を終えたバッテリーをケースへ戻したところで、工房の入口が開く音がした。

「お疲れさまです」

いつもの落ち着いた声。

振り返ると、天城がコートを片手に立っていた。外回り帰りらしく、きっちりしたスーツ姿のまま、しかし歩き方にはもうこの工房の空気に慣れた人間の癖がついている。

「お疲れ。今日は少し早かったな」

「ええ。面倒なものを拾ったので」

第一声としてどうなんだ、その言い方は。

「種類によるな」

「久世さんが好きそうな種類です」

そう言って、天城は黒い封筒を作業台へ置いた。

封筒は厚手の紙で、無駄に上質だ。縁に金の細線が入っている。結婚式の招待状にも見えなくはないが、どちらかと言えば秘密クラブの会員証に近い、いやらしい上品さがあった。

「何だこれ」

「半招待制の非公開評価会」

「言い換える気が一ミリもないな」

「実態がそのままなので」

天城は平然としている。

「由来不明の宗教祭具、怪異蒐集品、民間伝承つき古物、正体不明の保存容器、そういった“説明しづらい物”を扱うクローズドな売買会です。表向きは私的な文化財評価会ですが、売買もあります」

「簡単に言えば、オークションですね」

「……怪しいな」

「かなり」

さらっと言い切るところが頼もしいような頼もしくないような。

俺は封筒の中身を引き抜いた。

中には簡単な出品予定一覧と会場案内、それから注意事項が一枚。

“写真撮影禁止”

“出品物の由来・真贋について主催は責任を負わない”

“落札後の瑕疵はすべて落札者責任”

美しいくらい胡散臭い。

「これのどこが俺向きなんだ」

「これです」

天城が一覧の一箇所を指差した。

Lot.18

石製供物台断片

夏季においても冷気を帯びると伝わる

由来不詳

真贋保証なし

写真は小さい。欠けた石板のように見える。灰色で、何の変哲もない。

強いて言うなら、表面だけ妙に滑らかだった。

「冷気を帯びる石?」

「社内の古い保留案件を洗っていたら、輸送途中の記録に引っかかりました」

天城はタブレットを開き、短いメモを見せてきた。

『石製保管容器の一部と見られる部材』

『搬送中、一部区画において想定外の低温維持を確認』

『外部電源なし』

『担当者メモ:箱そのものが冷たい』

「差し押さえ品から民間へ払い下げられ、その後さらに流れたようです」

「流通経路は綺麗じゃありません。ですが、だからこそ余計な情報も消えている」

俺はメモと写真を見比べた。

冷たい石。

由来不詳。

しかも流通記録の中に「外部電源なしで低温維持」とある。

正直、オカルト市場の作り話であってもおかしくない。

だが、こういう時のためにイヴがいて、セル・チューナーがある。

耳の奥に仕込んだ骨伝導イヤホンへ、平坦な声が落ちた。

【現物確認を推奨します】

【輸送記録に一貫性があります。単なる伝承品である可能性は低いです】

俺は返事をせず、一覧の写真を見下ろした。

「……見てからだな」

「私もそう思います」

当日。

会場は都内某所、古い洋館を改装した私設ギャラリーだった。

表の看板には、実在しそうでいて実態のよく分からない文化財保存団体の名前が掛かっていた。だが、門の前に停まっている車の値段と、受付に立つ男たちの目の冷たさだけで、その看板が単なる目隠しだと分かる。

中は妙に静かだった。

金持ちの趣味人、宗教財ディーラー、コレクター、古物商、あとは何を商売にしているのかぱっと見では分からない人間が、みんな一様に声を抑えて歩いている。笑っていても目が笑っていない。

この手の場所には独特の匂いがある。金の匂いではなく、執着の匂いだ。

「好きじゃないですね」

天城が小声で言った。

「分かる」

「金額の問題じゃないんです」

「“何にいくら払っているのか本人たちも半分分かっていない顔”が好きじゃない」

「辛辣だな」

「事実です」

展示室の壁際には、ロットごとにケースが置かれていた。

欠けた仏像の頭部。

由来不明の青銅器。

奇妙に傷の少ない石櫃の蓋。

真鍮の仮面。

妙に保存状態のいい写本。

どれも何かの物語を背負っていそうで、その大半はたぶん、何も背負っていない。

ただ、ひとつだけは違った。

Lot.18。

部屋の奥のガラスケースの中、黒い布の上に置かれた石板。

供物台断片、と説明にはあるが、形を見る限り石櫃か石箱の内壁だった可能性もある。角が欠け、片面だけが不自然に滑らかに削られていた。

そして、その前に立った瞬間。

ポケットの中のセル・チューナーが、微かに震えた。

それは熱でも振動でもなかった。

むしろ逆だ。指先の温度を吸い取るような、薄い冷たさの脈動。

同時に、イヤホンの奥でイヴが告げる。

【反応を確認】

【異星文明由来技術の可能性が極めて高いです】

俺は表情を変えないようにしながら、ケースの中の石板を見つめた。

灰色の花崗岩。

だが、表面の一層だけ、石ではなく“性質”でできているように見える。

目の錯覚だと言われれば否定できない程度の差。けれど、セル・チューナーははっきりと反応している。

「……本物か」

小さく呟くと、隣の天城が声を落とした。

「ありましたか」

「ああ。かなり強い」

「落としますか」

「落とす」

即答だった。

ここで迷う理由はない。

問題は、俺たち以外にもこの石を狙う連中がいるかどうかだ。

その答えは、わりとすぐに分かった。

「それ、お好きなんですか」

背後から、低い男の声。

振り返ると、痩せた中年男が立っていた。年齢は四十代半ばくらいか。仕立てのいいスーツを着ているが、体型のせいで上品というより夜の匂いがする。商社マンにも見えるし、美術ブローカーにも見える。要するに、どっちにでもなれる顔だ。

「こういう由来物に興味がおありで?」

男は笑っていた。

だが目は笑っていない。

「仕事柄、保存状態のいい古物は気になるもので」

天城が先に答えた。企業相手用の柔らかい笑みだ。

男はその笑みを面白そうに眺めてから、ケースの中の石板へ視線を戻した。

「面白い品ですよ」

「冷気を帯びる、って話だけならよくあるんですがね。あれは少し違う」

俺は眉を上げる。

「詳しいんですね」

「商売ですから」

男は肩をすくめた。

「冷えるだけの石ってのは、昔はありがたがられたんです。供物が腐らない、遺体が傷まない、夏でも酒がぬるくならない。そういう用途はいくらでもある」

「ただ、そういう便利さが伝承になった時点で、だいたい本来の扱い方は消える」

その言い方が引っかかった。

知っているのか。

それとも、知っているふりをしているのか。

「何か問題が?」

天城が聞く。

「問題はありません」

男は笑ったままだ。

「ただ、あれを“冷たい石”だと思って買うなら高い」

「逆に“冷たいだけではない”と思って買うなら、安いかもしれない」

「ずいぶん曖昧ですね」

「この市場では、曖昧なものほど値がつきます」

それだけ言って、男は軽く会釈し、別のケースへ歩いていった。

去り際の足取りは軽い。こっちの反応を見に来た、それだけで目的は達したという感じだった。

「嫌な相手ですね」

天城が小声で言う。

「だな。何か知ってる可能性あると思うか?」

「“変なものだ”とは知っている」

「でも、本質までは分かっていない」

俺も同感だった。

あの男は、この石に妙な価値があることは知っている。

ただし、それが異星文明技術だとか、もっと根源的な何かだとか、そこまでは行っていない。

だからこそ、“冷たいだけじゃない”なんて曖昧な言い方になる。

厄介だが、今のところはそれでいい。

問題は、あいつみたいな連中が何人いるかだ。

オークションは、拍子抜けするほど静かに始まった。

最初の数ロットは、ゆるやかに値が上がるだけだった。古写本、祈祷具、地方豪農の蔵出しらしい祭器。会場全体の空気もまだ柔らかい。

だが、Lot.18が呼ばれた時だけ、ほんの少しだけ空気が締まった。

「冷気を帯びると伝わる石製供物台断片。由来不詳。真贋保証なし。開始価格、百二十万から」

司会の声が落ちると、すぐに札が上がった。

正面の老婦人。

斜め前の若い男。

それから、さっきの痩せたブローカー。

「百五十」

「二百」

「二百五十」

テンポは速い。

思ったより人気がある。

「怪談好きってのは金持ちなんだな」

「怪談好きだけとは限りません」

天城の視線は鋭い。

「保存機能付きの祭具、特殊な冷却効果、そういう言葉だけで欲しがる人もいます」

「宗教団体、保存系のコレクター、医療・研究方面の裏ルート、いくらでも考えられます」

なるほど、ありがたくない話だ。

「三百」

「三百五十」

「四百」

会場の値上がりは止まらない。

俺は番号札を持つ天城の横顔を見た。

企業交渉の時と同じ顔だ。冷静で、余計な感情を落としている。

「上限は?」

「一応、想定のラインはあります」

「超えたら?」

「そこで降りるのが正しいです」

イヤホンの奥でイヴが短く告げる。

【落札を推奨します】

【対象価値は高いです】

俺は何も答えず、ケースの中の石板を見据えた。

五百。

六百。

七百。

そこで一度、会場に小さな間ができる。

痩せたブローカーが軽く指を上げた。

「八百万」

やはり来た。

天城が小さく息を吐く。

「ここからですね」

俺は頷いた。

九百万。

千。

千二百。

数字が上がるたび、参加者は減っていく。

最後に残ったのは、痩せた男と、正面の老婦人、そして俺たちだった。

「千三百万」

老婦人。

「千四百万」

痩せた男。

そこで、天城がこちらを見た。

「どうします」

「行く」

「予算の想定を超えます」

「行く」

天城は一瞬だけ俺を見た。

次いで、迷いなく札を上げる。

「千七百万」

会場の視線が、はっきりこちらへ集まった。

老婦人が初めて顔をしかめる。

痩せた男も、今度は露骨にこちらを見た。

司会が確認する。

「千七百万。千七百万。ほかに」

沈黙。

老婦人は札を下ろした。

残るは、痩せた男だけ。

男は数秒、考える素振りを見せた。

そして、ふっと笑った。

「……結構」

札は上がらない。

「千七百万。ほかに。――落札」

木槌の音は思ったより軽かった。

だが、その音が落ちた瞬間に背中を流れた汗は、だいぶ現実的だった。

引き渡し手続きは簡単だった。

金さえ払えば、由来も責任もこちら持ち。

この手の市場らしい、きれいで汚い取引だ。

木箱に収められた石板を受け取って、会場の外へ出る。

夜風が思ったより冷たかった。

いや。

石板を持っているせいでそう感じるのかもしれない。

「ずいぶんと思い切りましたね」

案の定というべきか、門を出たところで、あの男が待っていた。

痩せたブローカー。

街灯の下で見ると、昼間よりさらに人相が悪い。

「競りは自由でしょう」

天城が冷たく返す。

男は肩をすくめる。

「もちろん。ですが、あれを“ただの珍品”として買ったなら、少々払いすぎだ」

「逆に、本当に価値が分かっていて買ったなら……」

「なら?」

俺が聞くと、男は少しだけ笑った。

「保管には気をつけた方がいい」

「冷えるものは、時々、熱以外のものまで持っていく」

怪談めいた言い方だ。

わざとだろう。

「具体的には?」

「具体的に知っているなら、あの場であそこまで競ってませんよ」

それもそうか。

男は続ける。

「昔、似たような品を持っていた連中が、保管庫を一つ丸ごと駄目にしたことがある。冷蔵設備の故障とか、そういう話じゃない」

「もっと帳尻の合わない壊れ方でした」

「帳尻の合わない?」

「冷えているはずの場所だけ、別のものまで止まる」

「時間とか、湿度とか、そういうものが妙におかしくなる」

「まあ、伝聞ですがね」

そこで男は一歩下がった。

「大事に扱ってください。ああいう品は、所有者を選ぶ」

怪異蒐集家っぽい、ひどく胡散臭い台詞だった。

だが、完全な嘘でもなさそうなのが面倒だ。

「あなたは何者だ?」

俺が聞くと、男は笑った。

「高い物を高く売り、安い物を高く売る人間です」

「それ以上の肩書きは、だいたい不要でしょう」

それだけ言って、男は本当に去っていった。

天城が小さく息を吐く。

「最悪ですね」

「でも、価値があることだけは分かったな」

「ええ」

天城は木箱を一度見た。

「そして、私たち以外にも“何か変だ”と思う人間はいる」

「それも面倒です」

まったく同感だった。

俺は木箱を抱え直す。

重い。

ただの花崗岩なら当たり前の重量だ。

だが、その重さの中に、セル・チューナーがここまではっきり反応するものが入っている。

「帰るか」

「ええ」

天城が短く頷く。

車へ向かいながら、俺は木箱を見下ろした。

冷える石。

怪しい祭具。

由来不明の供物台断片。

表向きはそういうことになっている。

でも、今の俺には分かる。

あれはただの怪談の小道具じゃない。

セル・チューナーが反応した以上、あれは俺たちの側にある物だ。異星文明の断片。文明の欠片。まだ名前も機能も知らない、次の鍵。

海鳴りの倉庫に持ち込めば、答えが出るだろう。

その答えが金になるのか、厄介ごとになるのか、あるいはその両方なのかは分からない。

ただ一つだけ確かなのは、千七百万の石板を買った俺は、もう後戻りできないということだった。

……いや、別に今さら後戻りする気もないんだけど。