軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第5話 ブラックボックス技術の商談

見せるものと、見せないものを決めるのに、俺は思ったより時間を使った。

海鳴りの倉庫の前室。白銀の壁面に囲まれた静かな空間で、作業台の上に今日使うサンプルを並べる。劣化した汎用バッテリー、再生済みの見本、簡易計測器、それからケースに入れたセル・チューナー。

「確認するぞ」

俺は作業台に手をついたまま、小さく呟いた。

「見せるのは変質現象そのもの。量産可能であることも認める。けど、イヴのことは言わない。海鳴りの倉庫のことも言わない。セル・チューナー本体も渡さない」

【妥当です】

いつもの平坦な声が、手元のスマホから返ってくる。

【今回の交渉における優先事項は、信用の獲得ではありません。主導権の維持です】

「その言い方、毎回ちょっと怖いんだよ」

【事実の整理です】

「分かってる」

天城澪。

東都エナジー&ロジスティクス、新規事業開発室。

財閥系企業の名前に気圧されないと言えば嘘になる。だが、怖いのは名前そのものじゃない。向こうが“どこまで見えているか”だ。

見本を検査して、現行技術を超えていると断言してきた。

その上で面談を求めてきた。

ただの営業じゃない。

少なくとも、数字を読める人間だ。

「天城は金になると思って来る。そこまではいい」

俺はケースを閉じた。

「問題は、その先だよな」

【必要以上に話さないでください】

「了解」

バッグを肩に掛け、前室を見回す。

起動率一七パーセントの秘密基地。

今の俺が握っている最大の秘密であり、最大の資産。

これを守りながら、外の世界と繋がる。

面倒だし、怖いし、正直かなり胃が痛い。

でも、ここを越えないと次に進めないのも確かだった。

面談場所は、東都E&Lが取った都内のホテルラウンジ個室だった。

企業の本社でもなく、わざとらしい高級料亭でもない。

この手の相手が警戒されず、それでいて話が外に漏れにくい場所を選んだのだろう。

時間ぴったりに現れた天城澪は、思っていたより若かった。

二十代後半。

長い黒髪を後ろでまとめ、装飾の少ないスーツを着ている。高そうだが、これ見よがしじゃない。肩書きで押すタイプではなく、自分の言葉で詰めるタイプだと一目で分かった。

「お待たせしました。天城澪です」

差し出された名刺を受け取る。動きに無駄がない。

笑ってはいるが、空気は完全に仕事だった。

「久世恒一です」

「ありがとうございます。では、早速ですが本題に入ります。回りくどい話は好きではないので」

席に着くなり、天城はタブレットを開いた。

画面にはグラフと数表が並んでいる。電圧、発熱、劣化推移、充放電特性。素人目でも検査項目がかなり細かいのが分かった。

「見本を入手し、検査しました」

天城は俺を真っ直ぐ見た。

「巧妙に偽装されていますが、明らかに現行のテクノロジーを超えています。特に熱特性と劣化カーブは、既存の再生技術では説明がつきません」

そこではったりを混ぜる様子はなかった。

断定に必要なだけの数字を揃えた人間の話し方だ。

「この点について、詳しく伺いたいのですが」

俺は一拍置いて、口を開いた。

「そこまで見抜くとは思いませんでした」

「見抜けるだけの検査をしました」

即答だった。

「その上で申し上げます。私は、これを“偶然の当たり個体”とは判断していません」

やっぱりだ。

この人は、最初から本物前提で来ている。

「言葉で説明しても、あまり意味はないと思います」

俺はバッグを机の脇に置いた。

「実物を見ますか」

天城の目が、ほんのわずかに細くなる。

「見せていただけるなら」

「条件があります。録画なし、持ち帰りなし、分解要求は後。今日は現象確認だけです」

「構いません」

答えに迷いがない。

俺はバッグから、わざとらしくないように機材一式を取り出した。

天城は小さなケースも机の上に置く。

「こちらで用意した劣化サンプルです。検査済みですので、事前のすり替えはないと断言できます」

「用意がいいですね」

「御社……いえ、あなたのような方は、そこを疑うと思いましたので」

“御社”と言いかけて修正したところに、少しだけ面白さを感じる。

俺はケース越しにセル・チューナーを操作し、天城の持ち込んだサンプルに接触させた。工程そのものは見せない。見せるのは結果だけだ。

淡い反応。

数秒。

それで終わる。

「以上です」

天城はすぐにサンプルを取り上げ、自分の小型計測器に接続した。

画面を見たまま、数秒、黙る。

その沈黙がやけに長く感じられた。

やがて彼女は息を吐き、顔を上げる。

「……なるほど」

声は低く、落ち着いていた。

「これで“偶然”ではなくなりました」

そこで初めて、天城の中で何かが切り替わったのが分かった。

驚きはある。けれど今の彼女を支配しているのは興奮より整理だ。

「確認します」

天城は指を組んだ。

「再現性はありますか」

「あります」

「操作はあなた以外でも可能ですか」

「可能です」

「まとめて処理できますか」

「できます」

「一日あたりの処理量は?」

「ラインを組めば増やせます。現状でも個人仕事の範囲は超えられる」

「対応規格の幅は?」

「スマホ、モバイルバッテリー、カメラ、ドローン、ノートPC。もっと広げる余地はあります」

天城は頷き、質問を重ねる。

「失敗率は?」

「危険な個体を避ければかなり低い」

「性能のばらつきは?」

「狙って調整できます」

「つまり、意図的に“盛る”“抑える”の制御もできる?」

「はい」

そこまで聞いて、天城はタブレットを伏せた。

「再現性があって、第三者でも操作できて、しかもまとめて処理できる」

その視線がまっすぐこちらに来る。

「ならこれは研究ではなく産業です」

言い切った。

「理論の説明より先に、供給可能量と運用形態を詰めるべき案件です」

企業人だ。

実感する。

本当にこういう人種は、未知の現象を見ても、まず“どう儲けるか”を考える。

だが、不思議と嫌な感じはしなかった。

多分、その整理の速さに助けられる部分もあるからだ。

「商業ベースに載せられるなら革命が起きます」

天城は続けた。

「利益分配は細かく決める必要がありますが、特許化できるなら、最低でも半分は約束できます」

「特許は、まだ無理です」

俺がそう言うと、天城は初めて少しだけ間を置いた。

「理由は?」

「装置を渡せないからです」

「……装置?」

「中核になる装置は一つしかない。譲渡も持ち出しもできません。工程の全面開示も無理です」

天城の目が、わずかに細くなる。

「ですが、量産は可能なんですよね」

「可能です」

「つまり」

彼女はそこで一度言葉を切り、整理しながら口にした。

「装置販売はできない。技術ライセンスも難しい。工程もブラックボックス。ですが、完成品の供給はできる」

「そうなります」

数秒の沈黙。

普通ならここで話がこじれてもおかしくない。

大企業側からすれば、コア工程を握れない技術なんて面倒そのものだ。

だが、天城は首を横に振った。

「分かりました」

俺は思わず眉を上げる。

「分かるんですか」

「発想を変えます」

天城はペンを取り、メモ用紙に簡単な図を書いた。

久世側。

中核工程。

東都E&L側。

調達、法務、販路、品質管理。

「これは開示型技術ではありません」

彼女は図の中央を指先で叩いた。

「ブラックボックス型の製造工程です。特許で守る前に、秘匿したまま利益を取る枠組みを作るべきです」

……話が早い。

あまりに早くて、逆に少し笑いそうになる。

「驚いた顔をされていますね」

「いや、もっと揉めるかと思ってました」

「揉めている時間がもったいないので」

涼しい顔で返される。

「それに、技術を全部開示しないと成立しない事業なら、そもそも世の中にはもっと少ないです。製薬でも素材でも半導体でも、ブラックボックスは珍しくありません」

「異星文明みたいな領域でも?」

半ば冗談のつもりで言ったのに、天城は笑わなかった。

「そこまではまだ言いません」

その一言で、空気が少し変わる。

彼女はペンを置いて、俺を見た。

「ですが、うちの会社では時々こういう話が引き継がれます」

「表に出ていないだけで、現実を疑うような技術案件がある、と」

俺は何も言わない。

天城は静かに続ける。

「新人の頃は、大企業特有の都市伝説だと思っていました。古参が若手をからかうための、半分怪談みたいなものだと」

「でも、今のを見た以上、全部を笑い飛ばすことはできません」

その言葉には、無理に神秘性へ寄せる感じがなかった。

あくまで現実の側から踏み込んできている。

「私は異星人も超能力も信じていません」

「でも、“存在を認めると面倒だから表に出ない技術”があることは知っています」

「あなたの技術は、その分類に入る可能性が高い」

そこまで聞いて、俺も少しだけカードを切ることにした。

「現行技術の延長線上じゃない、とは思っています」

天城の視線が止まる。

「俺も全部を理屈で説明できるわけじゃない」

「だからこそ、いきなり世に出す気はありません」

「危険だと思っている?」

「かなり」

即答した。

「こういうものは、見つかれば奪われる。真似されるか、囲われるか、消されるか。ろくな未来にならない」

自分で言っていて、少しだけ笑えた。

数日前まで締切に追われていた売れないライターの台詞じゃない。

でも、海鳴りの倉庫を手に入れてからこっち、嫌でもそういう発想になってしまった。

天城は小さく頷く。

「同意します」

その一言が妙に重かった。

「では、方針はこうです」

天城は再び実務家の顔に戻る。

「一般市場は捨てましょう。スマホ向け大量流通は早すぎる」

「まずは少量高単価の閉鎖市場です」

「業務用、物流、災害対応、港湾設備、ドローン、測量、特殊現場向け」

「高性能であること自体が価値になる市場に絞るべきです」

それは、俺とイヴがざっくり考えていた方針とほぼ一致していた。

「つまり、世界を変える電池を“特殊用途向け業務製品”の顔で売る、と」

「その方が長く生き残れます」

即答。

「それに、少量高単価市場なら、装置が一基でも回る」

なるほど。

俺一人で漠然と考えていた時より、事業としての輪郭がはっきりしていく。

「利益分配は?」

俺が聞くと、天城は少しだけ微笑んだ。

「そこはようやく、その話ができますね」

タブレットの画面が切り替わる。

簡単な試算表。

販売単価、供給量、設備投資、法務処理、仮設の品質保証ライン。

「現時点で特許は保留。ただし将来的な権利化の優先交渉権は確保したい」

「当面は共同事業扱い。利益分配は折半ベースで仮置き」

「こちらは表の器、設備、資材調達、販路、最低限の法務処理を用意します」

「あなたは中核工程を握る。コア装置はあなたの管理下に置く」

「どうでしょう」

早い。

だが、無茶ではない。

「ずいぶん思い切りますね」

「思い切らないと、こういう技術は他社に見つかります」

「……見つかったら?」

「面倒なことになります」

その“面倒”の中身は、互いに深く説明しなくても分かった。

沈黙が落ちる。

ホテルラウンジの外からは、穏やかな食器の触れ合う音がかすかに聞こえてくる。

ここだけ、妙に静かだった。

「一つ、条件があります」

天城が言った。

「条件?」

「私は机の上だけで、この技術を扱うつもりはありません」

そこで初めて、彼女の声に少しだけ熱が乗る。

「製品を買うだけのスポンサーにも、契約書だけ眺める投資家にもなるつもりはない」

「この技術が本当に実務に耐えるのか、どこまで扱えるのか、私は自分の目で見ます」

俺は黙って彼女を見返した。

「現場を見せてください」

「あなたの工程そのものを全部とは言いません」

「でも、少なくとも“何をやっている人間なのか”は把握したい」

「その上で、私は資金を出すのか、販路を出すのか、それとももっと別のものを出すのかを決めたい」

机の上の商談だけでは終わらない。

そこまで言うということは、この女は本当に現場へ降りるつもりだ。

少し面倒だ。

かなり面倒だ。

でも、嫌ではなかった。

「普通、財閥系企業の人ってそういうこと自分でやるんですか」

「普通ならやりません」

「じゃあなんでやるんです?」

「普通の技術じゃないからです」

あっさり言い切られて、逆に笑ってしまう。

「……なるほど」

天城も、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「なので、久世さん」

「買収でも、特許の囲い込みでもなく、まずは共同事業の仮合意から始めましょう」

「その代わり、私は現場に入ります」

そこまで言われて、俺はようやく腹を括った。

ここで断ることもできる。

今まで通り、個人で小さく回していく道もある。

だが、それではどこかで限界が来る。資材も、販路も、隠れ蓑も、そのうち全部足りなくなる。

なら、使える相手は使うべきだ。

「分かりました」

俺は頷いた。

「共同事業の仮合意でいきましょう」

「利益分配は仮で折半」

「一般市場はやらない」

「閉鎖市場向け、少量高単価」

「コア装置は俺の管理。譲渡なし、持ち出しなし」

「承知しました」

「その代わり」

俺は一度言葉を切る。

「俺にも条件があります」

「どうぞ」

「無理に急がないこと」

「これを“今すぐ世界を取れる案件”だと思わないこと」

「変な匂いがしたら、即座に止めること」

天城は少しだけ考えてから、真顔で頷いた。

「約束します」

「私は利益が欲しいですが、焼け跡は欲しくありません」

その返しは、かなり信用できた。

話がまとまったあと、天城は立ち上がる前に最後の一言を置いた。

「今日はありがとうございました」

「正直に言えば、私はまだ半分しか信じていません」

俺は眉を上げる。

「半分?」

「はい」

天城は名刺入れを閉じた。

「でも、残り半分を無視できないだけのものは見せてもらいました」

「それで十分です」

その言葉は、奇妙なくらいしっくり来た。

全面的な信頼でもない。

完全な懐疑でもない。

だからこそ、今の俺たちにはちょうどいい。

「じゃあ次は」

俺が言うと、天城は静かに答えた。

「次は、実務の話をしましょう」

「本当に回るのか、どこまで回せるのか」

「机の上ではなく、もっと現場に近いところで」

それだけ言って、彼女は部屋を出ていった。

帰り道、俺は駅へ向かう夜の街を歩きながら、大きく息を吐いた。

想像していたよりずっと疲れた。

騙し合いではなかった。だが、手札を見せすぎないようにしながら前へ進める会話は、普通の打ち合わせよりずっと神経を使う。

スマホが震える。

【どうでしたか】

イヴからの短い表示だった。

「思ってたより、面倒な相手だった」

【有能です】

「だな」

俺は苦笑する。

「でも、使える」

短い沈黙のあと、イヴの表示が変わる。

【恒一にとって必要な相手です】

その言い方は少し癪だった。

でも、否定はできない。

天城澪は、ただ金を出す人間じゃない。

技術の匂いを嗅ぎ取れる。

数字で判断できる。

秘密主義を怒るより先に、ブラックボックス事業として整理できる。

しかも、自分で現場に来ると言った。

厄介だ。

でも、そういう相手じゃないと、たぶんここから先は進めない。

ホテルのガラス壁に映る自分の顔を見る。

数週間前まで、締切と原稿料に溜息をついていた売れないライター。

今は、財閥系企業と超技術の共同事業について話している。

本当に、人生はどこで壊れるか分からない。

あるいは、どこで始まるか、か。

夜風の中で、俺は小さく笑った。

商談は成立した。

ただし、これはただの商談じゃない。

ブラックボックスのまま世界に食い込むための、最初の共犯契約だ。

そして天城澪という女は、どうやら俺が思っていた以上に、その“共犯”に向いているらしい。